東京地方裁判所 昭和38年(刑わ)5690号 判決 1965年3月30日
被告人 西宮一夫 外四名
主文
被告人西宮一夫を罰金四、〇〇〇円に、被告人鹿野邦昭および同片三奉を各罰金三、〇〇〇円に、被告人田丸博を罰金二、〇〇〇円にそれぞれ処する。
右被告人らにおいて、右罰金を完納することのできないときは、いずれも、金五〇〇円を一日に換算した期間、当該被告人を労役場に留置する。
訴訟費用は、証人細井一孝(第一回)に支給した分を除き、全部、右被告人ら四名に、連帯して負担させる。
被告人滝沢誠一は無罪。
理由
(被告人らの経歴および本件犯行に至る経緯)
被告人西宮一夫は、昭和三四年六月ごろ、国際興業株式会社(以下国際興業と略称する)の系列下にあつて、そのハイヤー・タクシー部門を担当し、北区赤羽稲付町四丁目四九二番地に営業所を有する三恵交通株式会社(以下三恵と略称する)に、タクシー運転者として雇われ、約六ヵ月間の試用期間を経て本採用となるや、間もなく、同社従業員の組織する、全国自動車交通労働組合(以下全自交と略称する)傘下の三恵交通労働組合の職場統制委員となり、その後、同組合執行委員として、教宣部長などの役職についていたもの、被告人田丸博は、昭和三六年八月ごろ、同じく同社にタクシー運転者として雇われた後、同労働組合員となつたもの、被告人鹿野邦昭は、昭和三七年五月末ごろ、同じく同社にタクシー運転者として雇われ、約三ヵ月間の試用期間を経て、同年九月初旬に本採用となるや、間もなく同労働組合の職場統制委員となり、その後、同組合青年部副部長の役職についていたもの、被告人片倉利光こと片三奉は、昭和三六年一二月ごろ、同じく前記国際興業の系列下にあつて、ハイヤー・タクシー部門を担当する和協交通株式会社(以下和協と略称する)に、タクシー運転者として雇われたが、その直後、労働組合を結成したかどで同社を解雇されたので、都労働委員会に提訴した結果、昭和三八年五月ごろから同社に復職し、非公然の加盟組織である東京自動車交通労働組合(以下東自交と略称する)和協分会の一員となつていたものである。
ところで、右三恵交通労働組合においては、かねて、会社側の提唱する企業合理化対策の一環である車種いれかえの問題(営業用全車両をデイーゼル車であるいすずベレルにいれかえること)をめぐつて、昭和三七年暮ごろから、するどく会社側と対立し、翌昭和三八年春ごろには前記和協および同じく国際興業の系列下にあつて、三恵と同じ構内に営業所を持つインター交通株式会社(以下インターと略称する)の各労働組合とも提携し、いわゆる三社共斗の態勢の下で、会社側と団体交渉を重ねてきたが、その話合いめどもつかない同年四月前後ごろ会社側が右車種いれかえを断行したうえ、その後さらに新賃金体系案(運転者の稼働水揚げ総額が一ヵ月につき一〇万円に満たない場合は、基本給、諸手当てなしで、水揚げの三〇パーセントの歩合給のみとする点を骨子とするもの)を提示し、組合側がこれをもつて実質的賃下げ案であるとして、極力反対したにも拘らず、同年九月になつて、結局これを強行実施してしまつたのみならず、同月二二日に行われた臨時組合大会における組合新役員の選出をめぐつて、これを不満とする一部組合幹部が第二組合の結成をはかり、翌一〇月の二日には、約五〇名の組合員連名の脱退届が、旧組合側に提出されるという事態にも逢着したため、これらを会社側における一連の組合分裂、弾圧工作であるとする旧組合員らと会社側との間には、ことごとにはげしい対立の様相を示すに至つていた。かかる状勢の下にあつて、会社側においては同年一〇月一二日に行われた全自交東京地連城北ブロツク主催の合理化粉砕総決起大会に際し、前記営業所の門に鉄棒をあてがうなどして、部外者等の構内立ち入りを阻止しようとしたが、組合側の抗議にあつて、結局、構内事務所前空地における部外者をも含めた集会を、黙認せざるを得ない羽目になつた経緯などもあつて、その後間もない同月一五日夕刻から北区労連主催の池田内閣打倒一〇・一五総決起大会が北区赤羽公園で開かれ、これに引続いて行われる集団行進の参加者ら(以下デモ隊又はデモと略称する)が、同社営業所前を通過するとの情報を得るや、国際興業の取締役兼ハイヤー・タクシー部長として、前記三社の実質上の最高責任者である三恵交通専務取締役土田定次郎が、同日夕刻より、急きよ、三社の営業所長その他の事務職員(いわゆる職制)を三恵事務所内の応接室に招集して協議の結果、右集団行進にあたり、同じ構内に営業所を持つ三恵、インターの従業員以外の、いわゆる部外者らの構内立ち入りを阻止するため、右営業所の門に最近できあがつてきたばかりの高さ一・四七メートル、巾六・八メートルの厳重な木製の門柵を張つて一時門を閉鎖し、万一、これを乗りこえたり、その他の違法行為をする者がある場合には、後日のため、これを写真に撮影しておくことになり、ただちに、当日和協から業務用カメラ(ミノルタ三五ミリ、昭和三九年押第五五三号の1)を持参して来ていた和協の職制清水進に命じて、右写真撮影の手筈を指示し、他方、同日午後六時三〇分ごろ、三恵の営業所長谷川義雄が、当時構内残留中の三恵、インター両社の出番運転者らに対し、あらかじめ社内放送によつて閉門の件を通告し、さらに、自ら構内を見廻つて該当運転者らに出構をうながしなどした後、右放送の約一〇分後である同日午後六時四〇分ごろには、早くも他の職制らに命じて、前記門柵による閉門を断行し、なお、その際、右門柵の外側に鉄棒をわたし、施錠するなどして、完全に出入を遮断してしまつたので、折から、構内の食堂で食事中であつた当日出番の三恵運転者弦巻雄之輔、およびたまたま右閉門の直前に、同様食事のため帰構した被告人西宮の両名は、食事後出構しようとして、前記谷川に対し開門方を要請したが、拒絶されたため、やむなく、構内に残留し、前記門柵付近にとどまつて、デモ隊の到着を待ち受けていた。
一方、同日午後六時すぎごろから行われた前記赤羽公園での集会に参加した被告人田丸、同滝沢、同鹿野および同片らを含む当日明番の三社組合員およびその家族らは、集会後デモ行進の先頭に位置し、同日午後七時前ごろ他の単組、上部団体員らとともに当日のデモの解散地点である同区稲付町三丁目四〇番地通称吉原踏切際へと向かい、途中、同日午後八時近く、右解散地点にほど近い前記三恵、インター両営業所の門前で、隊列から離れて、これを拍手で見送つたが、前記門柵に阻止されて、入構することもできず、その門前の路上にたむろしているうち、右門柵の内側にいる前記弦巻および被告人西宮の両名から、閉門の事情を聞知するや、居合わせた三恵交通労働組合書記長石川文一、同執行委員長永島政夫および全自交オルグ山根昇二らを中心とする十数名のデモ隊員が、会社の一方的な閉門措置に抗議し、あわせて両名の水揚補償を要求するため、同日午後八時ごろ、相前後して右門柵を乗りこえ三恵事務所内にいた前記土田に対し、口々に閉門の非をならして即時開門方を要求し、その後間もなく前記門柵は土田の指示によつて取り除かれるに至つたが、その直後、続いて入構して来た他の組合員および上部団体の役員など数十名のうちの一部も右抗議に加わつたので、事務所内はかえつて喧そうにわたり、途中席を立つて構内に出て行く土田を追つて、組合員数名が同人を連れ戻すなどの経緯もあつて、容易に決着がつかないため、いつたん、組合員全員が事務所を出て二派に別れ、一方の石川書記長ら約二〇名位は、当日の行動の総括検討をするため、ただちに、同じ構内にある組合事務所へ向かい、他方、前記永島、山根および北区労連事務局員酒向正博らを中心とする数名は、ふたたび事務所内に入つて土田に対する抗議を続けたが、依然らちがあかないので、同日午後八時二、三〇分ごろ、右三名と土田とが、事務室に隣接する応接室へ移つたものの、いくばくもなくして、土田がまたもや中座して、交渉は一時中断したが、間もなく、補償要求の当事者である被告人西宮をも加えた数名が、右土田、谷川らとともに応接室での交渉を進めることになつたので、その後は、事務室内に残留した十数名の組合員らは、応接室入口脇の小窓付近に、又はカウンター外側の廊下周辺に、あるいは、右カウンター内側から事務室内ガス台近辺にわたつて散在し、居合わせた会社側の職制らを相手に、口々に会社側の非をなじるものなどまちまちで、いずれも、右応接室内の交渉の成行きを懸念しつつ待ち受けていた。
他方、当日、土田の命により写真撮影の任を担当していた前記清水は、右応接室はずれの非常階段昇り口のあたりから事務所出入口前近辺に移動し、その間、前記門柵を乗りこえてくる労組員らの写真数枚を撮影したが、間もなく他の職制の指示によつて右事務所内に入り、その後は、同事務所内カウンター前廊下を、タイムレコーダー奥のインターの工員控室付近にかけて移動しながら、ひそかに事務室内の模様をうかがい、やがて、前記のとおり土田らが交渉のため応接室へ入るや、その直後、これを追つて、右応接室入口脇の小窓に近寄り、内部の状況を瞥見したが、格別異常もないので、そのまま前記カウンターの中央やや応接室寄り付近に立ち戻り、カメラのひもを左手首にまきつけたまま、右ひじをカウンターについた姿勢で、なおも、単身、右事務室内の様子をうかがい、待機していた。
(罪となるべき事実)
被告人片は、他の組合員らとともに事務所内に入り、前記交渉の模様を見た後、いつたん構内に出たが、その際、当日のデモに参加した和協の他の組合員から前記清水が、門柵乗りこえの状況を写真にとつていた旨を告げられたので、当日の集会の参加者中には、自らをも含めて、非公然の東自交組合員もいることであり、それらの写真が後日会社側の人事管理などの面に利用されては困ると思い、清水に会つてその経緯を問いただすべく、ふたたび事務室内に引き返したところ、あたかも前記応接室における二度目の交渉が始まつて間もないころとおぼしい同日午後八時半少しすぎごろ、折から、カウンターの中央やや応接室寄り付近で、ひとり室内の様子をうかがつている前記清水の姿を認めたので、ただちに、これに近づき「写真を写しただろう、誰に頼まれた」などと繰り返し撮影の事情を追及したあげく、ついに、清水が土田専務に頼まれた旨を口にするや、すばやく紙と筆記用具とを取り出して、清水の面前にさし出し、その旨をこれに記載するよう強く同人に要請したが、これに対し、清水が前言をひるがえし、誰にも頼まれないと云い張つて、譲らないため、同人との間で押問答となつた。
その間、このやりとりをききつけて被告人田丸、同鹿野の両名もその場に参集し、一〇名位の組合員らとともに清水を囲んでことの成り行きを注視していたが、そのうち清水の態度にたまりかねた組合員らの一人が、「カメラとつちやえ」と言い出すや、それに続いて、その場にいた他の組合員らの間からも、「出せ」「よこせ」「取つちやえ取つちやえ」「フイルムだけでもいいから出せ」などという声があがつて騒然となつたが、かかる状況の下において、被告人片、同田丸および同鹿野ならびに、さわぎを聞きつけ前記応接室を抜け出して、その場に来合わせた被告人西宮の四名はいずれも他の組合員らと相協力して、この際、無理にでも多衆の力をかり、実力をもつて清水からその所持するカメラを取り上げ、内部のフイルムを抜き出して感光させてしまおうという気持になり、暗黙のうちに、互にその場にいる他の組合員らと意思相通じ共謀のうえ、清水の身辺に肉薄し、被告人西宮が、折からカメラを右手にして身をよじらせ、カウンターの内側の者にこれを手渡そうとしていた清水の右腕を「出せ」、「よこせ」などと言いながら自己の左手で引つぱり、また、他の共謀者の何者かが至近の距離から、清水の腿および脛の部分を足蹴りするなどの暴行を加え、その後右カメラをカウンター上段窓ごしに清水から受け取り、急ぎ事務室内の金庫に納めようとした三恵の職制鈴木修が、跡をおつて来た組合員らに取りかこまれて、やむなく、専務用の机ごしに、当時国際興業から派遣されて来ていた同社監察課員鵜養章に右カメラを手渡し、さらに、鵜養が、折から近辺で電話対談中の三恵の職制柴田千秋に手渡すべく、右カメラを差し出したとたん、他の数名の組合員らとともに、カメラの行方を追つて、同人の身辺まじかに迫つた被告人西宮が、後方から腕をのばして、すばやくこれを取り上げたうえ、「どうやつてあけるんだ」などと叫びながら、わずかに宿直室寄りの地点へ移動して、被告人鹿野にこれを手渡し、同被告人において、同室内の応接室と宿直室との中間壁ぎわ付近で、数名の組合員らに取りかこまれながら右カメラのふたを開き、装填中のフイルムを取り出して、感光させ、もつて、被告人ら四名は、多衆の威力を示し、かつ、数人共同して前記清水に対し暴行を加え、また和協交通株式会社(代表取締役小島忠)所有のフイルム一本(ネオパンSS二〇枚どり、うち十数枚撮影ずみ)を毀棄したものである。
(証拠)
第一、証拠の標目(略)
第二、被告人西宮同田丸および同鹿野の行動について。(なお、被告人片が、判示認定の限度において、本件犯行に共謀加担した点は、前掲各関係証拠を総合して十分これを認めることができるから、とくに、本項において別段の説明を加えない。)
一、被告人西宮は、おおむね、「自分が事務室内宿直室出入り口付近で、他の組合員と雑談していた際、たまたま、フイルム、というような声が聞こえたので、見ると、事務室内土田専務の机の前あたりで、鈴木から鵜養にカメラが渡されるところだつた。そして、カメラを受け取つた鵜養が、これを谷川所長の机のななめ前あたりに置くようなかつこうをしたので、自分は、これに近づいてこれを取り上げ、鹿野に渡しただけで、清水に対する暴行の現場に参加したことのないのはもちろん、そのような状況を目撃したことさえない」という趣旨の供述をし、検察側証人の同被告人に関する供述と著しいくいちがいを見せており、弁護人も、ほぼこれに沿う主張をしているので、以下、同被告人の行動について、検討を加えることとする。
(1)、まず、この点についての証人永島の証言の要旨は、「門が開いてから約一四・五分間事務室内で土田専務に抗議したが(速記録四〇丁参照)専務が帰るということだつたので代表を選んで交渉しようということになり、最初、私、山根、酒向の三人が専務と一緒に応接室へ入つたが、いくらもたたないうち(大体四、五分)に、(速記録四七丁参照)専務が、事務所へ出て帰ろうとしたので、(速記録三一丁、四六丁ないし四八丁参照)いつたん、事務所へ出て、谷川の机のところで谷川に、専務をつれてきてくれるように頼んだところ、間もなく谷川が専務と一緒に帰つてきたので第二回目の交渉になつたが、その際、山根と相談して、当日のいわば被害者である西宮を交渉に加え、また北区労連の松方と右谷川も入つた。第二回目の交渉がはじまつてから、応接室内に人の出入りはなく、石川書記長が入つてきたのは大体九時ごろで(速記録三一丁参照)、第二回交渉開始後石川が入つてくるまで大体四〇分前後だつたと思う。(速記録五七丁参照)」というのであり、弁護人は、右証言中第一回目の交渉が短時間であつたとする点と、第一回、第二回の交渉の間に、明白な中断があつたとする点は、同証人の記憶の誤りと解すべきで、実際は、第一回目の交渉が相当長く、午後九時近くまでかかつており、その間に本件カメラの紛争が起きたのであるから、被告人西宮は、その弁解どおり、当時未だ事務室内にいたのである、また、第一回と第二回の交渉の間に明白な中断があつたとする点については、土田が事務室内の交渉の段階で行なつた交渉打ち切り行為を、あやまつて、この間にあつたものと記憶しているのであり、実際は、両者の間に、同証人の証言するような明白な断絶はなかつたものと主張する。そして、弁護人は、右主張の根拠として、前記被告人西宮の供述のほか、ほぼ右供述に符合する弁護側証人弦巻雄之輔および同嘉規敏夫の各証言を援用し、また、検察官提出のネガフイルムの番号三四に該当する証拠写真(昭和三九年押第五五三号の4の15)(ちなみに、右写真は被告人鹿野の撮影にかかり、被告人西宮が、本件カメラの紛争の後、ふたたび応接室に入室する直前の事務室内の状況を撮影したものであることが、右被告人ら両名の供述から推認できる。なお、右写真が本件犯行直後の事務室内の状況であるとする検察官の主張を裏付ける証拠はなく、かえつて被告人西宮の供述と、証人清水進の証言、(速記録四〇丁ないし四一丁裏、四七丁等参照)および右写真の内容などを総合して検討すると、右は本件発生後ほぼ十数分を経た時点のものであると推認できる点に注意する必要がある)には、被告人西宮のみならず、永島証言によれば、当時応接室にいたはずの谷川および松方すなわち嘉規の両名の姿までが見える点を指摘し、同被告人が応接室の交渉半ばで、「この野郎とんでもない、写真とつている」という声のする事務室内のカウンターの方向へ出ていつたのを目撃したという谷川証言を、あいまいで、措信できないという。
(2)、谷川証言の信ぴよう力の点は、しばらくおき、弁護人の指摘する永島証言と、他の証言とのくいちがいは、弁護人の主張するように、単に同証人の記憶の誤りとして、簡単に処理しる問題であろうか。また、そう考えることが、他の証拠との関連上果たして合理的であろうか。
たしかに、もし、時間の点について、永島証人が弁護人主張のような記憶ちがいをしていると仮定すると、前記永島証言のうち、谷川、嘉規および被告人西宮が、応接室の第一回交渉には加わつておらず、第二回目になつてはじめて加わつたとする点は、本件カメラの紛争時に、嘉規、西宮の両名が、事務室内に居合わせたという同人らの供述内容や、右紛争終了後の時点で、谷川が事務室内にいたことを示す前記証拠写真と、矛盾なく調和することになる。
しかし、当夜、三恵交通労働組合の執行委員長として、土田に対する交渉団のいわば最高の責任者であつた右永島が、交渉の経緯にもつとも心を砕いたであろうことは、その証言の内容自体に徴し、十分うかがわれるばかりでなく、前後二回の交渉の経緯についても、もつとも鮮明な記憶を有していると考えられるし(弁護人も、右交渉の経緯、内容についての同証言が正確であることは認めている)、現に、同証人は、応接室へ入る前の段階で、土田が帰ろうとした点についても一応述べているのであるから、(速記録一七丁)同証人が、土田の事務室内での交渉打ち切り行為を思いちがえて、第一回と第二回の交渉の間にはさみこんで述べてしまつたという、弁護人の前記主張は、にわかに首肯し難い、のみならず、時間の点について考えると、もし、弁護人主張のように、本件紛争後しばらくして少くとも前記証拠写真にうつつている事務室内の時計の示す八時五〇分の時点より以後に、被告人西宮や谷川、嘉規を加えた、いわゆる第二回目の交渉が始まつたと仮定すると、第一回目の交渉の開始を八時三〇分前後ごろと想定することには、弁護人もほぼ異論のないところであるから(もつとも当裁判所は当日におけるデモ行進の通過、会社門柵の開放およびそれに続く会社事務室内における土田と組合側の交渉の経緯等に関するすべての証拠を総合し、右第一回の交渉が開始されたのは午後八時三〇分より若干前の時点であると推認している)、第一回の交渉の時間は、最少限二〇分間はかかつていることになり、これと第一回交渉の時間は、いくらもなかつた、大体四、五分だつたと明言している前記永島証言とは、あまりに相異がありすぎて、単に、同証人の時間に関する記憶の誤りとは考えられないばかりでなく、石川書記長が組合事務所での総括会議を終えて、応接室での交渉に合流した時刻は、石川証人の証言等からみて、ほぼ午後九時ごろと推定せざるを得ない結果、第二回目の交渉が始まつてから、石川が応接室へ入つてくるまでの時間は、いくらもないことになり、この点も、その間約四〇分前後の時間があつたという前記永島証言と、大巾にくいちがうことになつてしまう。(永島証人は最初の事務室での交渉時間を大体一四、五分であつたと、ほぼ正確に記憶しているのであるから、その後の時間についてのみ、このように大きな記憶ちがいをするというのは、理解できないことである。)このように考えてくると、永島証言につき、すくなくとも弁護人の指摘する前記二点を、同証人の記憶の誤りとしてすませてしまうのはなかなかむずかしいことである。
(3)、つぎに、弁護人があいまいで措信できないと攻撃する谷川証言について検討を加えてみる。同証言の被告人西宮の行動に関する部分の要旨は、「自分と土田とが、組合側の代表である山根、永島、西宮、渡辺、安藤および北区労連の書記長らとともに、応接室に入つたあと、自分がその出入口付近にいたときに、『このやろう、カメラとつている』という声を聞いたので、うしろを向くとカウンターのところの清水のまわりに、五、六人の組合員がいた。そしてその直後自分の左側に坐つていた西宮が、カウンター外側の方へ(もつとも、この点は、後に反対尋問で「西宮はまつすぐにカウンターの方向へ出て行つた、それからカウンターの外へ行つたか中へ行つたかわからない」という趣旨に訂正している。速記録七〇丁参照。)出ていくのを見たが、そのすぐあとで、鈴木が金庫のそばにいるのを見、また、金庫の扉をあける金属性の音を聞いた」というのであり(速記録二九ないし三六丁、五二ないし五六丁、七〇ないし七三丁、一〇一丁裏参照)、それ自体きわめて具体的で、かつ特異な情景についての供述であるのみならず、出席者の顔ぶれなど細かな点を除外すればその応接室内での交渉の模様、出席者の座席のおよその位置関係なども、前記永島証言の第二回交渉の場面と、その大筋において一致するのであつて、必ずしも、弁護人主張のように、あいまいで、措信し難いとはいい切れない。のみならず、もし、谷川証人が実際見もしない事実を、つくり出して証言したのであるならば、なぜ、応接室を出ていつたという被告人西宮のその後の行動についてより詳細な供述を避けているのであろうか。また、もし、本件カメラの紛争の際、同証人が事務室内にいたのならば、なぜ、清水や鈴木に対する組合員の行動の模様、少くとも西宮から鹿野にカメラが渡つた状況などについて、詳細な供述をしないのであろうか。はしからはしまで、せいぜい六、七メートルしかない、ごく狭い事務室内のできごとについて同じ室内にいて、これを見ていたとすれば、その記憶を失うはずもないであろう。このような点を念頭において考えてみると、被告人西宮の行動についての谷川証言の信ぴよう力をむげに否定することはできないものと思われる。さらに、検察官提出の本件カメラの紛争後の時点における事務室内の状況を撮影したものと思われる前記証拠写真に、西宮、嘉規の両名のほか、谷川自身の姿もうつつていることは、まさに弁護人指摘のとおりであるが、右写真については、これを、右紛争直後の状況を撮影したものと解すべき確たる根拠もなく、かえつて右写真の内容と、同じくその中に撮影されている前記清水証人の証言及び被告人西宮本人の供述などを総合すれば、右は、紛争後ほぼ十数分を経過した時点の写真であると推認できることは、すでに述べたとおりであるから、右写真に谷川の姿がうつつているからといつて、本件紛争当時、同人が、事務室内にいたものと速断することはできず、したがつて、この点をとらえて同人の前記証言が客観的事実に反する不正確なものとは断定し難い。
(4)、被告人西宮の弁解それ自体は、考えようによつては、谷川証言とくらべて必ずしも自己に利益だとばかりは考えられない。すなわち、谷川証人は、被告人西宮が応接室を出ていくことに気付いてから、その後鈴木がカメラを持つて事務室の金庫のそばにいるのを見るまでの時間は「瞬間的と申しますか、時間的にはそんなにかかつておりません」とか、「西宮が会議室を出ていつたところで」鈴木の姿を見たなどとくり返し述べ(いずれも、速記録三六丁裏参照)弁護人の反対尋問に対しても、「時間的なことは、今聞かれてもわからないが、ともかく短い時間だつた」と述べており(速記録七三丁参照)、その供述の全趣旨から、同証人が被告人西宮の応接室を出ていく姿を見てから、鈴木の姿を金庫の付近に見出すまでの時間の短かかつたことが認められる。したがつて、右証言によるときは、少くとも、同被告人が当時清水に対する暴行に共謀加担するだけの時間的余裕があつたかどうかの点については、他の証拠をも参酌して、慎重な考慮を払わなければならないと考えられる余地もあるのに対し、自己が前記のような狭い室内で雑談していて、カメラが鵜養にわたるまで全くその紛争の成行きに気がつかなかつたという同被告人の弁解は、それ自体、かえつて不自然なものに思われ、むしろより早い段階で同被告人が清水との間の紛争の渦中に参加したのではないかという推測さえ可能となるからである。
それゆえ、同被告人の供述が事実にそぐわないものとすれば、なぜ同被告人がことさらに、そのような自己に不利益とも思われるような弁解をするのか。この点も、一応、疑問としてとりあげられなければならない。思うに、この点は、本件カメラのやりとりを通じて、その間事務室内が騒然としていたか、あるいは弁護側証人がほとんど一致して述べているように、その前後を通じ、事務室内では、ほとんどさわぎらしいさわぎは起こらなかつたかということに関係があるのではあるまいか。もし、後者のような前提をとると、事務室内のさわぎを聞きつけて、被告人西宮が、応接室から事務室に出ていくなどということは、本来あり得ないはずであるし、また、狭い事務室内にいながら中途まで事件の成行きに気がつかなかつたという弁解もさほど不自然ではないが、これに反し、判示認定のように、同被告人が、交渉中途で事務室内に起つたさわぎを聞きつけ応接室を出て行つたということになると、本件についての同被告人のかかわり合いの事実は、容易に否定し難くなることから考えると、同被告人の前記弁解は、やはり自己に利益な弁解として、これを理解することができるわけである。
(5)、そこで、谷川証言を採用するとしても、被告人西宮が、判示認定のとおり清水に対する暴行に加担したと認めうる合理的な根拠があるかどうかについて、さらに立ち入つて考察してみる。この点に関しては、先にもふれたように、谷川が被告人西宮の応接室を出ていくのに気付いてから、鈴木の姿を金庫の傍らに見出すまでの時間が短かかつたという同人の証言内容に加えて、三恵の職制である鈴木および当時国際興業から一時派遣されていたにすぎなかつたとはいえ、すでに被告人西宮を含む多数の組合員の名前や顔を知つていたという観察員鵜養の両名が清水の身辺に被告人らがいたかどうかを識別していないこと、また、田丸、鹿野、片の三被告人が清水をかこんでいるのを現認したという堀田証人が、被告人西宮の姿を目撃した記憶がないことなどの諸点も、あわせて問題とされなければならない。
しかしながら、その言辞やや誇張に過ぎ、状況の表現にいささか具体性を欠くと思われる証人星野省三の証言をしばらく別としても、証人小菅安之丞ならびに証人柴田千秋の両名は、いずれも清水の身辺に被告人西宮がいたことを目撃した旨を供述しており、とくに右柴田証人が「出せ、よこせという大声が聞こえて私が振り向いたときに、清水が体をよじらせて、カウンターに上体をかぶせるようにして写真機を抱えているのを目撃した。それで、そのうしろに、左手でだれか清水の右腕を引つぱつているのを、その顔を見たら、これが西宮だつたので、自分はカメラを受け取ろうとしてカウンター際の机に近づいた」旨を述べている(速記録一二丁ないし一六丁参照)ところからすると、同証人は、組合員らが清水からカメラを取り上げようとして同人の身辺に肉薄しはじめた段階から、右状況を目撃し(ちなみに、清水証言によると、組合員の一人が「カメラとつちやえ」というと、これに呼応して、他の者から「とつちやえとつちやえ」という声があがつて、カメラを奪われそうになつたというのであるから、(速記録二九丁裏参照)少くとも、この段階から、柴田の目撃がはじまつたと考えて差し支えないと思われる)、しかもその後、いくばくもなくして、カメラが鈴木の手にわたされたと推認され、その間の、カメラの奪い合いは比較的短時間であつたと考えられるから、同証言を西宮が一番右側(すなわち、一番応接室寄り)にいたという小菅証言(速記録一三丁参照)と総合して考えると、前記谷川証言に従つても、被告人西宮について応接室を抜け出してから清水の身辺に近よつたうえ、判示のような状況を現出することは時間的にみても決して不可能なものとは思われない。そのうえ当日、同被告人が、事務室内でほとんど唯一人制服制帽という特異な服装であつた点を考えると、右柴田証人らが、他の組合員を同被告人と見誤つたとは、にわかに信じ難いので、前記谷川証言中の時間的感覚に関する点にこだわるのあまりたやすく右柴田、小菅両証人の証言の信ぴよう力を否定し去ることはできない。しこうして、当時、応接室から三番目の机に坐つていたという堀田証人が他の被告人三名(田丸、鹿野、片)の姿を現認したと言いながら、被告人西宮の姿を見たと述べていないのは、同被告人がややおくれて応接室の方角から清水に近づいて行つたため、これを見落したのではないかとも考えられるし、また、鈴木、鵜養の両証言についての前記疑問は、本件被告人ら全員に共通する疑問ではあるが、鵜養は、あくまでも外部の人間であるうえに、鈴木については、後に検討するとおり、当夜相当興奮していた事情がうかがわれることなど考えると、これらの三証人が清水の身辺に被告人西宮の姿を見かけた旨を供述していないからといつて、必ずしも判示認定が証拠を無視した不合理なものであるということにはならない。
(6)、最後に、鵜養がカメラを机の上に置いたので、自分は、ただこれを取り上げたにすぎないという同被告人の弁解は証人柴田および同鵜養の各証言に徴し、にわかにこれを採択することはできない。
(7)、以上検討の結果からも明らかなとおり、関係各証拠のすべてを分析し、かつ、これを総合して、合理的に考察すれば少くとも、判示認定の限度において、同被告人の本件犯行への共謀加担は、証拠上、十分これを認め得ると考える。(ちなみに、当裁判所の認定によると、すでに述べたところからも明らかなとおり、同被告人が本件カメラの紛争後十数分間事務室内で会社側の鵜養やさらには谷川らと話を交わした後、応接室から呼ばれて、ふたたび入室し、以後補償問題が一応決着するまで土田との交渉のため引続き右応接室内にいたということになる。ただ、そうなると、応接室における交渉途中でいつたんそこから抜け出した同被告人が本件紛争後ただちに同室内に立ち戻り右交渉に復帰もせず、後刻ふたたび入室を促されるまで、事務室内に留まつていた点が、一応疑問として残ることになるが、永島証言(速記録二六丁裏ないし三〇丁参照)からも明らかなとおり、第二回交渉開始後しばらくは、土田が閉門理由の釈明に際して用いたという暴徒闖入のおそれあるいは不測の事態発生の危険という言葉についての抗議ないし押問答が行われていたと認められ、同被告人が、中途応接室を抜け出した段階では、同被告人を含む構内残留者に対する補償要求の交渉は、未だその本筋に入つていなかつたと考えられるからこの時点で応接室を出た同被告人が、本件カメラについての紛争が一段落した後、ただちに応接室に引き返さなかつたからといつてその行動がさして不自然であるとはいえず、したがつて、この点をとらえて判示認定に無理があるとはいえないと思う。)
二、被告人田丸は、検察側証人たる前記星野、小菅、柴田および堀田らが、一致して、少くとも清水に対する判示暴行の現場で、その姿を目撃した旨証言しているのに対し、当公判廷において、一貫していわゆるアリバイの主張をし、おおむね、次のような弁解をしている。すなわち、その主張の要旨は、「自分は、応接室出入口と事務所出入口の中間あたりで、大野と二人でスクラムを組み、土田が帰ろうとするのを阻止したが、その際、永島に、テープレコーダーを持つてこいと云われたので、土田との交渉の模様を録音するため、一人で三恵の組合事務所へふつとんで行き、テープレコーダーを探したが、部品がバラバラで故障していたので、約一〇分以上(速記録六二丁参照)右組合事務所内でそれを試験したりした後、結局、手ぶらで事務室へ引き返す途中、右事務室に隣接するインターの工員控室の廊下で、大野に呼び止められ、『いいものがある』といわれ二人して右控室内の新三恵の組合事務所へ入つたところ、右室内廊下ぎわの窓ガラスに、第二組合へ走つた人の旅行日程表と、その参加者名簿がはりつけてあつたので、当時、まだ、右第二組合に参加した人たちの氏名を詳細に知らなかつた自分は、いつたんは、これを手帳にうつそうとしたが、時間もかかるし、腹も立つので、これを引きはがして持ち、そのまま再び、前記組合事務所へ取つて返して、石川に第二組合へ走つた人の名前がわかつた旨を告げた後、再度会社事務所へ向かい、こんどは廊下に入らず、直接構内を通つて応接室へ行き、応接室構内寄りの窓から中をのぞいて、永島にテープレコーダーが故障していることを報告すると同時に、同人の了承を得て、同室はずれの非常階段寄りの窓わくをはずして、窓外から、交渉の行われている応接間の中をのぞき、以後は、交渉が妥結するまでその場を離れなかつたので、テープレコーダーを取りに行つて以後、自分が事務室内に出入りしたことは一度もない」というのであり、弁護人は、右主張を裏付ける証拠として、証人永島および同大野の各証言を援用しているので、右弁解の当否について、なお慎重な考察を加えてみる必要がある。
(1)、被告人田丸の右弁解のうち、同被告人が、新三恵の組合事務所から、入口の窓ガラスに貼つてあつた旅行参加者名簿をはがし取り、これを持つて廊下に出た後、仮眠室へ昇る階段前の出入り口から組合事務所へ向かつた点は、弁護側から提出された旅行参加者名簿と思われるワラ半紙三枚(昭和三九年押第五五三号の6、ちなみに、右ワラ半紙は、検察官提出の被告人鹿野撮影にかかるネガフイルムのうち、番号1、2番にうつつているものと同一物であることが、肉眼によつても十分確認できる)の存在、前記アリバイの主張に対する再反証として、検察側から申請された証人細井の証言(第二回)、さらには、弁護側証人大野および同石川らの各証言ならびに被告人田丸本人の供述を総合して、ほぼ間違いないものと考えられ、また、それの行われた時点についても、右各証言を総合すると、本件犯行時より数分ないし一〇分位後のことであつたと考えて差しつかえないように思われる。
(2)、そこで、さかのぼつて、同被告人がテープレコーダーを取りに組合事務所へ行つたかどうかの点を検討し、もし、これが認められるとすれば、果たして、同被告人および弁護人の主張するような同被告人のアリバイが成立するかどうかが検討されなければならない。まず、この点については、同被告人の供述に、ほぼ符合する石川証人の証言があり、右両者の供述が、いずれも相当詳細かつ具体的であつて、おおむねその趣旨において大同小異であることもあつて、いま、時間の点をしばらく別論とすれば、少くとも同被告人がテープレコーダーを取りに組合事務所へ行つたということ自体は、一応事実と認めて差しつかえないようにも考えられる。しかしながら、他方、なお一歩つつこんで考えてみると、同被告人にテープレコーダーを持参するように指示したという当の永島証人が、検察官の反対尋問に対し、「田丸にテープレコーダーを持つてこいと依頼した者がいたかどうかはわからない。私自身としてはそういうことをいつたことはない」旨証言し(速記録七二丁参照)、したがつて、また、同被告人から、テープレコーダーの件について報告を受けた事実についても何ら供述しておらず、同被告人の供述と重要な点においてくいちがいのある証言をしている点に注意する必要がある。当日の土田との交渉の最高責任者で、その交渉にもつとも、心を砕いたであろう同証人が、テープレコーダーの持参を指示するというような特異な事象を忘却することは、容易に理解できないところである。そのうえ、被告人田丸の弁解の順序に従うと、同被告人が右テープレコーダーの故障していることを永島に報告して、非常階段下の窓を開けに行つたのは、ほとんど午後九時に近いことになるが、永島証言によると、同被告人から右窓をはずして交渉を傍聴することについて了承を求められた時点は、第二回交渉のはじまる直前で、しかも場所は、応接室出入り口のところだつたというのであるから、その間に相当なくいちがいがあつて(ちなみに、永島証言のいわゆる第二回交渉の開始を午後九時近くと仮定すると、その余の証拠関係で重大な矛盾が生ずることは、前項において、すでに検討ずみである)、必ずしも同一時点の事実を述べているとは窺い得ないふしもある。よつて、当時、同被告人がテープレコーダーを取りに組合事務所へ行つたということについては、なお相当の疑点を残している。
(3)、なお、かりに、同被告人が当夜、テープレコーダーを取りに組合事務所へ赴いた事実があるとしても、同被告人の主張するようなアリバイの成否に関連して、次のような諸点をめぐる検討がなされなければならない。
すなわち、石川証人は、同被告人が、第一回目に組合事務所へ来たのは、組合事務所での会議がはじまつて後の、午後八時二〇分ごろ以降で、その時同被告人は、七、八分間そこにいた旨を述べている(速記録一五三丁、一六一丁参照)。しかしながら、右の時間の点については、同証人も時計によつて、確めたわけではないから、必ずしも、正確を期し難いばかりでなく、右供述自体、同被告人の供述と著しいくいちがいを見せている。
この点につき、同被告人は、弁護人の問に対し、「自分は、職制の堀田の手伝いをして門を開いた後、会社事務所の方へ来ると、石川書記長を含む組合の執行部が、土田と話しながら事務所の出入り口の方に出てくるので、大野と二人でスクラムを組んだ。そうしているうちに、永島にテープレコーダーを持つてこいといわれた。」と述べ(速記録五丁ないし九丁参照)、さらに、最後に、ふたたび、弁護人の問いに対し、「テープレコーダーを持つてこいといわれたとき、最初は、誰かわからなかつたが、まわりには、永島委員長と石川書記長とそれから組合の執行部の人が二、三人いた」と述べ(速記録一〇五丁参照)、くり返し、テープレコーダーの一件が、開門後まもなく、少くとも、石川書記長らが、組合事務所へ行く前のできごとであつたようにとれる口吻をもらしているのである。
つまり、この供述によると、同被告人が組合事務所へ行つたのは、相当早い時期で、同被告人が組合事務所でテープレコーダーをいじつている間に、そこでの会議が始まつたと考えざるを得なくなる。そして、同被告人の供述する当日の開門後の自身の行動の経緯からすると、むしろ、この方が時間的には、自然なようにも感ぜられ、前記石川証言と重大な矛盾を生じてくるのである。(もつとも、同被告人も、自分が組合事務所へ行つたときは、すでに会議は始まつていたと述べてはいる。しかしそうなると、その直前の同被告人の供述と、どのように調和することになるのであろうか、疑問なきを得ないところである)。
それにしても、もし、委員長に命ぜられたとすれば、一刻も早く、テープレコーダーの件について復命しなければならない立場にあつたはずの同被告人が、前記のように一〇分間以上も組合事務所内にとどまつて、器械のテストをくり返していたということは、十分に理解しかねるところである。かりに、同被告人の供述するように、器械の上に書類などが置いてあつたり、部品がバラバラになつていたとしても、テストの時間が長すぎはしないか。その間にも、事務所内での交渉は、どんどん進んでいるはずで、前記永島がひたすら被告人田丸の帰来を待ちうけているであろうし、同被告人としては、器械がだめならだめと、いち早く委員長に報告しなければならないはずだからである。
この疑問は、組合事務所を出た同被告人が、新三恵の組合事務所前廊下で、大野に会つて以後の行動について、いつそう痛感されるところである。この点についての大野証言のうち、カメラの件が未だ結着もつかず、鵜養が机の上にサツとカメラをおろすようにしたところまでを見ていながら、あとはそのままにして便所へ行つたと述べている(速記録六〇丁ないし六二丁参照)その半面、便所へ行く途中で出会つたという被告人田丸と一五、六分間もタバコをふかしてそろそろ旅行に行く時期だななどと立話ししていたというのは(速記録二三丁参照)、それ自体、不自然で首肯し難いばかりでなく、その立話しの内容にも、同被告人の供述するところと微妙なくいちがいがあるが(たとえば、同被告人の供述によれば、廊下で同証人に呼びとめられ、すぐさま、「いいものがある」といわれて、新三恵の事務所の中に入り、名簿の話になつたようにとれる、速記録一九丁参照。)、もし、同証人の述べているような経過だとするならば、同被告人は、その間、テープレコーダーの件について永島に報告にも行かず、一五、六分間も立話しをした(しかも、その間、大野が中途まで目撃したという本件カメラに関する紛争が話題にのぼつた形跡もない。)あと、再度組合事務所へ引き返したことになるのであつて、その行動は、いつそう理解し難くなる。また、もし、同被告人の供述のとおりだとすると、たとえ、いつたん手帳に第二組合員の氏名をうつそうとした時間や、その件について、大野と多少のやりとりをした時間等を考慮にいれるとしても(ちなみに、同被告人は、現実に、途中までうつしたとは述べていない)、その後、これを剥ぎとつて外へ出るまでに、なぜ、「一〇分二〇分といわれてもわからない相当長い時間」(速記録六七丁参照)が必要だつたのであろうか。むしろ、その供述する大野との出会いの模様からしても、同被告人が新三恵の組合事務所にいた時間は、より短いものであつたと考える方が自然なのではなかろうか。そして、もし、そうだとすると、同被告人が、前記のとおり、新三恵の組合事務所の入口の窓ガラスに貼つてあつた旅行参加者名簿をはがし、これを持つて組合事務所へ向かつた時点が、本件紛争の後であつたことは、証拠上疑がないところであるから、同被告人が、それよりも前に、一度、組合事務所に行つたことがあるとしても、いつたん同事務所から帰つて来た後、新三恵の組合事務所で旅行参加者名簿を剥ぎとるまでの間に、相当の時間的なブランクが存在していたものと考えられ、この間における同被告人の行動について疑問をいれる余地を生じる。さらに、同被告人が、二度目に組合事務所を出てから、こんどは事務所内に入らず、まつすぐに応接室へ行つたという供述についても、一考を要する。すなわち、同被告人の弁解によるときは、同被告人は、交渉団が、未だ、事務室内にいる間に、テープレコーダーを取りに組合事務所へ走つたものと解するほかはないのであり、交渉団が応接室へ移つたという事実を知らないはずなのであるから、(それだからこそ、同被告人は、最初、組合事務所から引き返す際には、廊下伝いに事務室へ向かつたと述べているのだと考えられる)二度目に組合事務所から引き返す際、突如として、まつすぐに応接室へ向かつたというその行動自体は、その間いちども事務室内に立ち戻つていないというその弁解にも拘らず、同被告人が、いちどは、事務室内に立ち戻つて、その間の状勢の推移を察知していたという後記推測を裏付ける一つの有力な根拠ではないかと思われさえするのである。(もつとも大野に会つた際に、交渉の模様を聞いたというのであれば、一応はわかるが、同被告人も大野も、この点が、二人の話題にのぼつたということについては、一言も述べるところがない。)。
このように、テープレコーダーを取りに行つて以後、自分は、一度も事務所内に帰つていないという同被告人の弁解は、それ自体のうちに、前後の自己の行動と必ずしも調和しないいくつかの重要な疑問点を包蔵し、右疑問は、被告人の弁解を裏付けるべき、大野、石川の両証言によつても、十分に氷解されるに至つていないが、これらの疑問に、田丸から非常階段下の窓を開けてよいかと了解を求められたのは、第二回の交渉の始まる直前だつたという前記永島証言(速記録六七丁ないし六九丁、八四丁参照)とを思い合わせると、同被告人の行動には、つぎのような推測をなし得る余地がある。すなわち、それは、同被告人は、初め、組合事務所へ行つたとしても、その後、同事務所から、いつたん会社事務所内へ引き返し、第二回交渉の直前に、永島に対して、右非常階段下の窓を開ける点の了承を求め、未だそこへ行かないか、または、いつたん開けて後何らかの事情で事務室内へ引き返した際に、本件カメラの紛争に巻き込まれ、それが一段落して、前記細井が便所へ行く前に、大野と連れ立つて、新三恵の組合事務所へ向かつたのではないか、というのである。そしてこのような推測は、「第二回交渉直前に、田丸に了解を求められた後すぐ、非常階段下に田丸がおり、同人は、その後ずつとその場を動かなかつた」という永島証言もあるが、同証人が、当夜の交渉団の中心人物であつて、室内の交渉にこそもつとも心を砕いていたはずで、室外の田丸の行動についての観察が、必ずしも完全とは考えられないこと、および、被告人田丸との出会いの経緯についての前記大野証言が必ずしも納得しがたいこと、などの諸点を考慮にいれこれに次項記載の各証拠を合わせて考えると、決して証拠を無視した不合理な憶測とはいえないと思うのである。
(4)、すなわち、被告人田丸については、検察側証人星野、小菅、柴田、堀田の四名が、例外なく、清水に対する暴行の現場で、その姿を現認している旨を述べており、ことに、右検察側証人の中で、もつともその供述が控え目であると思われる堀田証人(ちなみに、同証人は、清水が、柵の外側道路の見える階段の途中に上り、デモが通過している最中の道路の方にカメラを向けていた旨会社側に不利益と思われるような事項も憚らずに供述しており、また、後述の滝沢被告人や前記西宮被告人については、その姿を現認していない旨明確に述べているばかりでなく、被告人田丸の行動についても、同被告人が清水の体を押していたかどうかは忘れたと述べるなど、組合員に不利益な事実を、ことさらに誇張して供述するような傾向は、全く認められない。)が、カメラの奪い合いの始まる前段階であると思われる組合員らと清水との押問答の段階から、すでに被告人田丸の姿を目撃しているという趣旨の供述をしていること(速記録一三丁ないし一五丁参照)、さらに、弁護側証人嘉規敏男も、「(カメラのやりとりの間というわけではないが)田丸君が事務室を出たり入つたりしていたんじやないかと思う」旨証言し(速記録六〇丁ないし六一丁参照)、同被告人の弁解とやゝ矛盾すると思われる事実を供述していることに注目すべきであろう。
(5)、このように、被告人田丸の前記アリバイの主張は、テープレコーダーを取りに組合事務所へ行つたというその根本の事実に、証拠上重要な疑問を禁じ得ないばかりでなく、仮に右事実を前提にして考えてみても、それは、なお前記検察側の提出した証拠の信ぴよう力を動揺させ、これに合理的な疑いをさしはさむに足りる根拠にはなり得ないと思われる。よつて、右主張は、採用できない。そして、右検察側立証を総合すれば、判示認定の限度において、同被告人の本件犯行への共謀加担も、証拠上十分これを認め得ると考える。
三、被告人鹿野は、判示のように、被告人西宮から受け取つたカメラから(もつとも、同被告人は、当公判廷においては、カメラを渡されたのが、被告人西宮であることは、認識していなかつた旨供述している)、フイルムを抜き取つて感光させた点については、これを自認しているが、判示清水に対する暴行への共謀加担の点については、捜査の段階以来一貫してこれを認めず、ことに、当公判廷においては、当時、自分は、タイムレコーダー前の廊下の窓ぎわ付近で、組合員の蛭田勝夫らと話し合つていたので、清水と組合員らとのカメラについてのやりとりは、ちらつと見ただけで、全くこれには関与していないと述べ、証人蛙田勝夫も、ほぼ右趣旨に沿う供述をしている。しかしながら、被告人鹿野は先に、清水が会社の門柵を乗り越えて入つてくる組合員らの写真を、フラツシユを用いて撮影していたのを現認しており、当時は未だ同人の身分を知らなかつたが、その後、清水が前記カウンターの外側廊下で、被告人片ほか三、四名の組合員らから、「どうして写真とつたんだ」などと問い詰められているのを見たときには、すでに清水が会社側の者であることに気付いていたのであり、さればこそ、被告人滝沢の供述によると、同被告人とともに被告人鹿野も、また、いち早く、カメラを携えてカウンター外側の廊下にいる清水の身辺につきまとつて、その写真撮影の妨害を図つていた事実が認められるのである。そして、また、現に、その後、まもなく、被告人西宮が、判示のとおり鵜養の手からカメラを取り上げ「どうやつてあけるんだ」といつている声を耳にするや、ただちにカウンター内側の同被告人の身辺に近より、右カメラを受け取つて、すばやくフイルムを感光させているのであつて、しかも当時、被告人鹿野としては、そのフイルムが会社の手もとに残り、後日組合員ら(とくにいわゆる東自交所属の組合員ら)に不利益な用途に使われては困るとの懸念から、そのような行動に出たものであることは、同被告人が当公判廷においてみずから認めているところであるから、これらの経緯からみても明らかなとおり清水の写真撮影の件についてひとかたならぬ関心と懸念とを抱いていたものと認められる同被告人が、至近の距離にある同じ廊下内で被告人片その他の組合員らが、「どうして写真とつたんだ」などと言つて清水に詰めよつている状況を見聞しながら、ただそれをちらつと見ただけで、あたかも、ひとごとのように全くそのやりとりに関心を示さず、そのまま前記蛭田らとの会話を続けていたという弁解には、多分に納得しかねるふしがあるのみならず、なお、鈴木がカメラを金庫に入れようとして、しやがんだところを写真にとろうとしたが、すぐ立ち上つたのでピントが合わずに写せなかつたという被告人鹿野が、その少し前ごろ、清水と組合員らとの間に行われていた同じカメラについてのやりとりの状況を身近かなところで目にしながら、これを写真にとろうともしなかつたのは、どういうわけであろうか。やはりふに落ちかねる点であるといわなければならない。
以上の次第で、この点に関し、検察側の堀田、柴田、星野の三証人が、いずれも被告人鹿野の姿を清水の身辺まじかに現認していること、その他関係各証拠を総合して認め得る前記諸般の状況に徴して考察すると、同被告人の右弁解は、これを採択することができず、結局、判示認定の限度において、同被告人の本件犯行への共謀加担も、証拠上十分これを認めることができると考える。
第三、検察官主張の公訴事実の一部を認定しなかつた理由
一、鈴木修に対する暴行について。
(1)、検察官は、本件公訴事実にかかる訴因の一部として、判示清水に対する暴行のほか、なお、判示カメラが右清水からカウンター内側の鈴木の手に渡されるや、被告人らは、さらに、約一〇名前後の組合員らと共謀の上、多衆の威力を示し、かつ同人らと共同して、ただちに、被告人西宮および同田丸を含む数名の組合員らと、当時、宿直室入口付近にいた数名の組合員らが、これを追つて、事務所内金庫脇戸棚付近で同人を取り囲み、右戸棚のガラス戸の柱に同人を押しつけ、あるいは、同人の腕やカメラのひもを引つぱるなどの暴行を加えた旨主張している。
(2)、右被害者とされている鈴木証人は、その被害の状況として、「カメラを金庫に納めようと思つて、途中まで行つたが、六、七名の者が追いかけてきて、専務用の机のうしろの戸棚の柱のところで取り囲まれて、金庫まで行けなくなり、結局八名から一〇名ぐらいの人達から『カメラをよこせ』、『フイルムをよこせ』などといわれたうえ、カメラのひもを引つぱつたり、腕を引つぱつたりされ、そのうちに、押しくらまんじゆうじやないが、ガラス戸の柱にぎゆつと押しつけられて身動きできなくなつたけれども、鵜養が、専務机の前に来たので、自分も無理に机のところまで進んでいつて、鵜養にカメラを手渡した」旨供述し(速記録主尋問一五丁ないし一七丁参照)、とくに、その押された状況については「手を使つてというよりは、肱だとか、肩だとかそういうものを使つて押されたわけです」と述べ(速記録反対尋問一五丁)、さらに、その身辺を囲まれた状況については、「最初、五、六人だつたと思うが、それからなんか黒山のようにいつぱいになつた」とも述べているが(同五三丁)、これらに対し、被告人西宮を含めて弁護側証人たる組合員らは、いずれも、右暴行の事実を否定し、当時の状況として、右鈴木の証言と相違する供述をしているところ、この点に関しては、検察側の証人も、判示清水に対する場合と異り、ひとり鵜養証人を除いては、鈴木と組合員とのやりとりの模様を具体的に証言する者がいないので、これらの相異なる証言の内容を仔細に分析し、かつ慎重に検討する必要がある。
(3)、まず、鈴木証言の信ぴよう力全般について考えてみる。
谷川証人、鵜養証人、穴沢証人、成田証人など、検察側、弁護側双方の主要な証人が、ほとんど一致して供述しているところによれば、当時、鈴木が本件カメラを持つて、いつたん金庫の前まで行き、これを金庫に入れようとして、そのダイヤルに手をかけたことは、ほとんど疑いのない事実であると考えられるにも拘らず、当の鈴木証人自身は、強くこの点を否定し、一貫して、自分は金庫まで行かないうちに取り囲まれて動けなくなつたと供述していること、鵜養にカメラを手渡した直後、同証人が身の危険を感じたということで、赤羽警察署へ電話しようとしていること、その際、その電話を妨害した人の中に、永島委員長がいたと述べていること(ちなみに、永島は、当時、応接室で土田と交渉中であつたことは、他の証拠との関係上、疑いの余地がない)などの諸点を総合すると、当時、同証人は、興奮のあまり、事態を正確に把握するだけの心理的余裕を欠いていたと思われるのみならず、自已自身の行動についてさえ、必ずしも正確な記憶を有していないと考えられるふしもある。(現に、前記のとおり、自己が金庫の前まで行つて、そのダイヤルに手をかけていると思われるのに、これを否定したり、また、清水証言によると、当夜構内での写真撮影を終つた同人を、事務所内に呼び入れたのは、ほかならぬ鈴木証人であつたと認められるにも拘らず、同証人自身は、この点について、何らの記憶も有していないようである。したがつて、かかる状況の下にあつた同人の証言には必ずしも、たやすく全面的な信をおきがたく、その証言のみによつて、軽々に事を断ずることは、これを慎しまなければならない。
(4)、ところで、同証人が、前記のとおり、「黒山のような人に取り囲まれ」て、「押しくらまんじゆうじやないが、柱にぎゆつと押しつけられて身動きできなくなつた」旨述べている点について考えてみると、同証人が押しつけられたという戸棚の柱付近のガラスが、「黒山のような人」に、「身動きできないくらいにぎゆつと」押しつけられたにしては、割れもせず、ひびも入らなかつた点が、まず注目されなければならないばかりでなく、当裁判所の検証調書によつても明らかなとおり、右戸棚の柱と専務机との間の僅々一メートルにも足りないごくせまいすき間に、果たして、「黒山のような」、少くとも八名ないし一〇名もの人間が、押しくらまんじゆうのように押しかけることができたかどうかについても相当の疑問なきをえない。それに、またカメラを取りあげようとして鈴木のあとを追つた組合員らが、鵜養証人の証言によつても認められるように鈴木の身辺近くに立ちふさがり、そのカメラを取ろうとして手をのばし、これを防ごうとする鈴木との間にカメラの取合いが行われたというのならわかるし、また、その際の自然の成行きとして、鈴木が自己の身体に多少の物理的な圧迫感を受けたということも理解できるが、ことさらに、「肩や肱」で柱に押しつけられたということはーそのように感じたという鈴木本人の気持は、気持として、これを尊重するとしても―他に確たる傍証がない限り、客観的な事実としては、にわかに納得し難いところといわなければならない。(この点は、後記のとおり、組合員らが判示清水をカウンターに押しつけたという事実を認定すべきかどうかの問題にも関連をもつわけである。)現に、鈴木自身、鵜養にカメラを渡す際には、鵜養が谷川の机の間あたりから近よつてくるのを現認したうえで、「無理に机のところまで進んだ」ことを認めているのであるが(速記録主尋問一七丁)、(ちなみに、第一回検証の際の検察官の鵜養にカメラを渡す際に鈴木のいた地点は戸棚のすぐきわであるという指示説明は、鈴木の右証言と符合していない)、この点は、当時、「黒山のような人に取り囲まれ」、身動きもできないような状況であつたという同証人の供述といささかそぐわないような感じをもたせるのである。
このような次第で、同証人の供述のみによつては、当時その身辺に集まつていた組合員らがことさら、意識的に肩や肱を使つて同人を戸棚のガラス戸の柱に押しつけたという事実を認定するわけにはいかないし、また、次にもふれるように、他に、格別、右暴行の事実を肯認せしめるに足るだけの確たる傍証も存在しない。
(5)、つぎに、同証人が、組合員らに腕を引つぱられたり、カメラのひもを引つぱられたりした事実が認められるかどうかという点について考えてみると、当時における鈴木の身辺の状況については、ただ鵜養証人が、「鈴木は、金庫にカメラを入れようとしたが、うまく開かないし、あわてたらしく、また土田の机の壁ぎわへ、カメラを片手に胸よりやや高く持つて押し戻されたが(速記録五九丁)、そばから多数の人の手がのびてとられそうになつたので(同一二丁)、自分が専務机の前へ行つて、カメラを受け取つた」旨述べているだけで、その余の検察側証人は、いずれも、右状況を目撃していないか、あるいは、見ていたとしても、きわめて、あいまい、かつ抽象的な証言しかしておらず、(星野証人に至つては、鈴木が鵜養にカメラを手渡した状況を、組合員に、略奪行為的状態で持ち去られたなどと証言している。)、いずれも前記鈴木証言を裏付ける傍証としては不適当であるばかりでなく、右鵜養証言にしても、現実に組合員らの手が鈴木の腕やカメラのひもにかかつたのを見たというのではなくして、単に手がのびていたというにすぎないのである。同証言によれば鈴木は、カメラを片手に腕よりやや高く持つていたというのであるから、現実に、同人の腕やカメラのひもに組合員らの手がかかつていたのであれば、鈴木から至近の距離にあつて、同人の行動をつぶさに目撃したはずの鵜養証人はもちろんのこと、鈴木にカメラを金庫にしまうよう指示して、自らも金庫の方へ移動したという当の本人で、カメラの行方について少なからぬ関心を抱いていたと思われる柴田証人の目にも、多少なりとこの状況がうつらないはずはないのではなかろうか(現に柴田証人は、その少し前に清水の身辺に起つた状況については克明に供述しているのである。)もつとも、前記清水の場合と右鈴木の場合とでは、周囲から見通しのできる程度が多少ちがつていたであろうということは、一応、考えられるところである。すなわち、清水の場合には、カウンターの硝子戸越しに事務室の内部からその状況の見通しが可能であつたのに対し、鈴木の場合には、同人の左右のみならず、その前面にも若干の組合員らが立ちふさがつていた関係上、それらに遮られて周囲からの見通しはあまりよくなかつたということがいえないこともないであろう。しかし、それだからといつて、前叙のような状況の下において、組合員らが鈴木の胸もと高めにもつているカメラのひもや腕を引つぱつているのを、その周辺にいてひたすら状況の推移を見守つていたはずの会社側の人たちが全然見落すということは、常識上考えられないことである。
このようにみてくると、なるほど鈴木証人は、カメラのひもを引つぱつたり、腕を引つぱつたりされたと述べてはいるが、前述したような同人の当時における興奮した心理状態にかんがみ、その主観的な感覚がどの程度の客観的確実性をもつものかについて少なからぬ疑問も生じてくるのである。
なお、清水に対しては、判示のような暴行が加えられているのであるから、その直後、カメラのあとを追いかけた組合員らは鈴木に対しても、何らかの暴行を加えたのではないかという疑いも、一応は、出てくるかもしれない。しかしながら、被告人西宮を含めて清水に暴行を加えた組合員らと同一の組合員らが鈴木の身辺に接着していたことを認めるに足る証拠は必ずしも十分でないし(検察側証人のうち、小菅証人のみが鈴木が金庫の方へ行つたとき、被告人西宮、同田丸が被告人滝沢と共にそのそばにいたと思う、と述べているにとどまる。)、それに、もともと、鈴木が、専務机のうしろで、組合員らに取り囲まれていたのは、清水の場合に比し、より一層短時間であつたことが看取される(鈴木、鵜養の両証言参照)のであるから、これらの点に加えて、さらに、自らカメラを操作し撮影している場面を組合員らに目撃されていた清水に対する場合と、単に清水から渡されたカメラを金庫に入れようとしただけの鈴木に対する場合とでは、組合員らの気組みも、おのずから違つてくると考えられること(現に、鈴木に対して、足蹴りのような暴行を加えた者は皆無である。)を思い合わせると、必ずしも当裁判所の前記事実認定の筋に無理があるとはいえないであろう。
(6)、のみならず、かりに、組合員らの手が、鈴木の腕にあたつたことがあつたとしても、本件のような状況の下においては、カメラを取りあげようとして差しのばした手が、たまたま鈴木の腕にあたつたのを、同人が故意に引つぱられたと感ちがいすることもありうるから、他に確たる傍証も存在しない以上、軽々に暴行の故意ありと推認することは、許されない。なお、カメラのひもを引つぱつた者がいるとしても、その際どの程度の力がカメラのひもに加わつたのか全く不明な本件において―少なくとも、カメラのひもにはなんの損傷もなく、また、鈴木の手からカメラを奪い取れなかつたことだけは疑いない事実であるが―このような行為につき、違法的可罰類型としての暴行罪の定型性を認めることは、甚しく疑問であるといわなければならない。
よつて、鈴木に対する暴行を内容とする被告人らの本件暴力行為等処罰に関する法律違反の公訴事実は、その証明がないことに帰着するが、包括一罪中の一部であるから、主文において無罪の言渡をしない。
二、清水に対する暴行について。
検察官は、被告人らは、清水に対し、他の共謀者らと共同して、判示所為のほか、さらに、同人を事務所内カウンターに押しつけ、あるいは、同人の所持するカメラのひもを引つぱるなどの所為に及んでおり、これらは、いずれも同人に対する暴行罪の一部を構成する旨主張している。しかしながら、まず、同人をカウンターに押しつけたという点について考えると、なるほど被告人ら(被告人滝沢を除く)が、他の組合員らと共に、カウンターを背にして立つた同人を多勢で取りかこみ、その身辺まぢかに肉薄して、所持するカメラを奪い取ろうとしたため、そのうち何人かの身体が、直接清水の身体と接触し、ある程度これを圧迫したであろうことは、証拠上認められないこともないが、すでに、「鈴木に対する暴行について」と題する項の(4)において述べたところからも明らかなとおり、右は、判示のようにことさら清水の腕を引つぱり又は同人を足蹴りするなどの行為とは異り、組合員らが、意識的に、清水の身体をカウンターに押しつけて圧迫したものとみるよりも、むしろ、清水の手からカメラを取りあげようとしてその身辺に接着してきた結果、その際の自然の成行きとして、清水の身体が組合員らとカウンターとの間にはさまれ、あたかもカウンターに押しつけられたような体勢になつたものと解するのが、当時の状況から判断して、より合理的であると思われるから、(現に、検察官は、清水が足を踏まれたことも、被告人らの暴行の一つとして挙げているが、この点については、清水自身が相手方に故意のなかつたことを認めており、また、それが正当であるといわなければならない。)、当の被害者である清水が、証人としてみずから、カウンターに背中を押しつけられた旨証言し、また、検察側の目撃証人の何人かが、組合員らが清水を体で押しつけていた旨供述しているからといつて―当時の外形的状況は、まさしく、そのとおりであつたと思われるが―たやすく関係組合員らに対し、清水をカウンターに押しつけるという意味合いにおける暴行の故意があつたものと断ずることはできない。また、組合員らが、清水の所持するカメラのひもを引つぱつたという点については「鈴木に対する暴行について」と題する項の(6)において述べたところと全く同様の理由から、右は、未だ違法的可罰類型としての暴行罪の定型性を備えるに至つていないと考える。
(被告人滝沢誠一の無罪の理由)
検察官は、被告人滝沢も起訴状記載の犯行に全面的に共謀加担した旨主張し、右主張を裏付ける検察側証人星野、同小菅および同柴田の各証言を援用している。そして、右各証人の供述等を総合すれば、被告人滝沢が判示犯行に共謀加担した事実を推認することができるようにも思われる。しかしながら、他方、これに対し、同被告人は、当公判廷において、いわゆるアリバイを主張し、おおむね、「自分は、事務所の廊下で、しばらく被告人鹿野と一緒に、清水につきまとい、何となく、その写真撮影を妨害していたが、清水が応接室の小窓から同室内をのぞいたあと、写真をうつすそぶりをなくしたので、自分は間もなく構内に出た。その後、一〇分や二〇分ではきかない長い時間構内をブラブラして、団交の経過を待つていたが、そのうちに、当時名前を知らなかつた国際興業の監察員の細井という人から「やあ、滝沢君」と呼びとめられ、会社事務所の出入り口前に、左右一台づつ置いてあつた自動車のうち、向つて右側の車体に寄りかかつて、細井が自分のいとこに似ているなどと、笑いながら一〇分以上話をしていたので(速記録三二丁参照)、その間の事務室内のできごとには、全く関係していない」という趣旨の供述をしており、弁護人も、右供述を裏付ける弁護側証人弦巻、同篠崎、同穴沢、同蛭田および同大野らの各証言を援用し、かつ、同被告人との出合いを記憶がないという証人細井一孝の証言(第一回)を、措信できないと攻撃する。そこで、以下、右アリバイの主張について順次考察をかさねていくこととする。
一、右アリバイの主張の当否についていわばその鍵をにぎるともいえる細井証言の内容については、項を改めて考えることとし、ここでは、その余の弁護側証人の証言について、まず検討を加える。
おもうに、これら弁護側証人の証言は、いずれも本件当夜、会社事務所の出入口際に自動車が置いてあつたと述べている点で一致しており、また、そのうち篠崎、蛭田、大野の三証人は、本件カメラの紛争当時またはその直後に、被告人滝沢が右自動車の近辺に居合わせた事実を目撃している旨供述しているけれども、右各証言は、その置かれていたという自動車の種類、その位置、車首の方向などの点において、必ずしもその軌を一にしてないうえに、同被告人の姿を見かけた際の状況についても、その供述がやや断片的で具体性を欠くうらみがあるのみならず、とくに、同被告人と細井との姿を再三目撃したうえ、最後のときには事務室内のごたごた(本件カメラについての紛争)のことで同被告人と言葉をかわしたということで、それらの状況をもつとも具体的に供述している篠崎証言によると、同証人は、清水が一度近よつた応接室の小窓を離れて、カウンター外側の廊下に引き返した後、間もなく事務室の出入口から構内に出たことになるのに拘わらず、(速記録一九丁ないし二一丁参照)、すでにその時点で、同被告人と細井の姿を目撃したことになり、やはり、そのころ外へ出てから相当長い時間たつてから、細井に話をしかけられたという前記滝沢本人の供述(速記録九六丁参照)とは、時間の点で著しいくいちがいがあることになるので、これらの証言のみによつては、未だ、十分同被告人の弁解を肯認することはできないと思われる。とくに、検察側の証人清水は、同人が、当日夕刻ごろ、和協の田村営業所長の命によつて、当時、構内にあつた自動車をインターの方へ移してとりかたづけた旨明言しているので、被告人滝沢および前記各証人らが、本件当時事務所前に二台の自動車が置いてあつたと供述する点も、それだけでは、にわかに首肯し難いことである。
しかしながら、このように各証人の証言が相互に微妙にくいちがつていることや、さらには、篠崎証人と被告人滝沢との各供述が、時間の点で相当なずれのあることは、もち論、見方によつては、それらの供述の信ぴよう力を減殺することになるが、他面、また、別の見地に立てば、それらの各関係人が、それぞれ混とんとした過去の記憶の中から、当夜のできごとの限られたひとこま(見ようによつては、ごく偶然でささいなひとこまともいえよう。)についての記憶を呼び起こし、とぎれとぎれにその記憶のままを述べている証左だともいいえないことはないし(ことに、被告人としては、自己側の重要な目撃証人である篠崎の証言に、口うらを合わせようとすれば、いくらでもその機会はあつたものと思われる)、右事務所前にあつたという自動車の点についても、清水がいつたん構内車をとりかたづけた後に、帰構した営業車がたまたまその場所に停車していたということも、考えられないわけではないから、(後記のとおり当夜相当の時間構内を歩いていたという細井証人(第一回)が、この点に関連して、当夜事務所出入口に車がとまつていたような気もするし、とまつていないといえばいないような気もする、というややあいまいな供述をしている(速記録一六丁)ことも、この際、一応念頭にとめておく必要があると考える。)、いずれにしても、これだけでは、被告人滝沢の弁解の当否を判断する決定的な契機とはなり得ない。
二、問題は、やはり、細井証言の検討であろう。同証人(第一回)は、当公判廷において、一貫して、当夜、被告人滝沢と話を交わした記憶はないと述べているが、右証言内容を仔細に検討してみて、まず気のつく点は、先に、事務室内における労組員らとのやりとりの中途でいつたん構内に出た土田専務が、労組員らに押し戻されて事務所付近までくるのを見てから以後、同証人が構内から事務室内に入ると、応接間とカウンターのそばの机との中間で、やや宿直室寄りのところで、五、六人の労組員たちが輪になつている(関係証拠と対比すると、これは、被告人鹿野が本件フイルムを感光させている時点にあたることが明らかである。)のを見たという、その間における自己の行動についての供述が、著しく具体性を欠いてあいまいになつていることである。同証人の供述によると、その間の二、三〇分ぐらいか、ともかく相当長い時間、自己が構内にいたことになるのに、その間の具体的な行動については、ただ「事務所外を全般的に歩いていたと思う」と述べるだけで、(同証人((第一回))速記録五三丁)何らそれ以上の説明を与えていない。これは、同証人の供述を借りると、「初め室内に入つたとき、ごたごたしているのを見てたしかに多少の懸念はあつたが、それを見てどういうこともないし、そういう目的もないので、別に目的はなかつたが、表に出て外を歩いていた」(速記録六四丁ないし六七丁参照)ということになるが、当日の約一週間位前から、三恵へ派遣されてきていたという本社の監察課員である細井が、わざわざ午後五時三〇分の勤務時間後夜おそくまで会社に残留していながら、事務室内のごたごたをあとにして、別段の目的もないのに、ただ構内を歩いていたというだけでは、たとえ「当日は統一デモがあるというので、見学するつもりで残つたのである」(速記録三一丁ないし三三丁参照)との説明が加えられても、十分納得することができない(現に、当時同じく三恵へ派遣されてきていた本社の監察課員鵜養章は、当夜ほとんど事務室を離れていないのである。)。構内を歩いていたのならば、歩いていたで、その間の状況についてもう少し具体的な記憶があつてもよいのではなかろうか。もつとも、同証人は、その間構内において、一〇分、一五分というような長い時間ではないが、ともかくなん人かの組合員らと立ちどまつて言葉を交わしたことのある事実を、必ずしも否定していないが、誰と、どこで、どんな話をしたのか記憶はない、ただ、当日、被告人滝沢とは話をした覚えがないという。(同証人((第一回))速記録五四、五丁、二四丁参照)しかし、同証人は、前記のとおり約一週間位前から三恵に派遣されてきて以来すでに被告人滝沢を含む十四、五名に及ぶ組合の活動的分子と目される人びとの顔や名前を覚えこんでいる本社の監察員であつて(同証人((第二回))速記録三七丁ないし四三丁)、同夜のように会社側と組合側との間にトラブルが起つているとき、会社構内でわざわざ組合員らの方から同人に話しかけるということは、―それが何かの抗議を申し立てるというのならば格別―普通は考えられないところであるから、もし、構内で組合員らと立話をしたものとすれば、むしろ同証人の方から話しかけたと考えざるを得ないことになるが、それならば、当夜のように異例な状況の下で自己が話をした相手方なり会話の内容なりをいくらかでも記憶しているのを期待することも、あながち無理な注文とはいえないのではなかろうか。
もちろん、同証人に対し、当夜のできごとのあれこれについて、いちいち明確な記憶の喚起を求めるのは、むしろ難きをしいるものであろう。しかしながら、現に、同証人がその第二回取調べにおいて述べているように、後刻、同人が事務室内に入つて以後の段階において目撃した被告人田丸らの行動について、きわめて明確な記憶を把持していることと対比して、その間、四囲の状況に若干異る点があるとはいえ、いささか隔靴掻痒の感を禁じ得ないものがある。さらに、転じて思うに、右細井証言のうちに、「なんか騒ぎがあつたということはガラス戸ごしに見たり、あとで話をききましたから、知つておりますけれども……」という一節がある(同証人((第一回))速記録一四丁)。この供述は、一見変哲もないもののように思われるが、これをその後に出てくる、「あの事件が起きたとき、私は、何か事務所内がさわがしくて、事務所内に入つていたことは事実です」(同二一丁)とか、「事件後、出入口から入ると、応接室とカウンターのそばの机との中間やや宿直室寄りのところで、五、六人の組合員が輪になつているのを見た記憶がある」(同二六丁)とかいう供述部分と合わせ考えると、同証人がガラス戸ごしに見たという、「騒ぎ」とは、ほかならぬ本件カメラに関する紛争のひとこまであつたと推定して差しつかえないもののように思われるが、そうだとすると、同証人は右カメラの紛争が事務室内で発生した際、たまたま事務室出入り口付近のガラス戸ごしに、右紛争の状況の一部を目撃したものと考えられる。(現に、同証人((第一回))自身もあの事件が起こつたころ出入口のそばに立ち止まつた点については認めている、(速記録二〇丁参照)そして、この目撃状況は、他方、被告人滝沢の「細井との話の終りころ、チラツと金庫の方を見ると、声は全然聞こえないが、鈴木がどこかへ電話しようとするのを阻止されている様子が見えた」旨の右事務室内の紛争のひとこまについての供述(速記録三五丁ないし三八丁)と、はからずも、ひようそくが合うこととなり、また、前記篠崎証人が、清水のカメラが鈴木に渡る直前ごろの時点で事務室を出たところ、車が二台あつて、滝沢は前の男(「一週間位前から構内を警察官みたいにうろうろしていた人」)と二人で前と大体同じ位置で話しており、自分に、「中でごたごたしてるみたいだけどなんだ」ときくので、自分は、「カメラ写してるのどうのこうのということで話してんだ」というような意味のことを答えた旨述べている(速記録二六、七丁、三五、六丁、四三、四丁各参照)のも、右との関連において具体的に理解できないことはないと思われる。
もとより、先にもふれたように、その際における当の相手方とされている細井証人が、当夜被告人滝沢とは話をした覚えがないと述べているのを軽々に無視してはならないし、また、被告人滝沢の供述と右篠崎証人のそれとの間には、滝沢、細井両名の出会いについて時間的なずれがあることも忘れてはならないのみならず、なお、同被告人の供述によると細井は、同被告人と立話をしてから、車庫の方角へ立ち去つたようになつていて、そのまま、すぐ、事務室内に入つて行つたことになつていない(速記録一一七丁)点も念頭に入れておくべきことではあろう。しかしながら、後記検察側証人の証言に加えて、これらの点をできうる限り考慮に入れても、なお細井証言について右に指摘した諸点はやはり、被告人滝沢と細井とが、同じころ、事務室出入口外の同じ場所で、ガラス戸ごしに、当時、同事務室内で行われていたカメラ取り合いの紛争状況の少くともあるひとこまを目撃していたのではないかという合理的な疑いをさしはさむ余地のあることを示唆するに足る重要な一資料たるを失わないし、ひいては、同被告人にかかる本件アリバイの主張の当否を判断する上において相当な比重を有するものといわざるを得ない。
三、のみならず、被告人滝沢が、もし、自己の供述するような事実を、全く体験していなかつたとするならば、同被告人はなぜ、こともあろうに、その相手方として、わざわざ本社の監察員である細井を選ばなければならなかつたのであろうか。それは、あまりにも常識にはずれたやりかたである。なぜならば、なるほど、細井証人としては、本件事犯発生の三日前である一〇月一二日の総決起大会の当日、会社の出入口に鉄棒を渡されて入構できなくなつた被告人滝沢が、職制との間にトラブルを起こした際、谷川所長から同被告人の氏名を聞き覚えたよしであるが、(同証人((第一回))速記録二九丁)当の本人たる被告人滝沢としては、わずか一週間前から派遣されて来ていた細井に、早くも自己の顔や名前を知られてしまつたことに気付くはずもないし、また、これに気付いていたことを推認するに足る証拠もないから、よしんば、当夜細井から、「やあ、滝沢君」といつて呼びとめられ、同人が自分のいとこに似ているなどと笑話をしたというようなことを主張してみても(ちなみに、被告人滝沢が、当夜、営業所出入口前に当時停車中の自動車の傍らに立つて、その場にいた細井に呼びとめられて立話をしていたということは、細井証人((第一回))が、一〇月一二日の総決起大会の際被告人滝沢の顔や名前を覚えた旨の供述をするよりはるか前の段階である弁護側の冒頭陳述の中で、すでに主張されているのである。)、当の本人である細井から、「滝沢という人は名前も顔も全然知らなかつた」とか「その晩全然会つたことはない」などと軽く一蹴されてしまえば、それまでの話だからである。この意味において、同被告人の右弁解それ自体が、いかにも特異でかつ独得な内容を含んでいることに注目する必要があろう。
なお、この点に関連して、右アリバイの主張そのものは、事前に関係人らの供述調書の閲覧が弁護側に許されなかつた本件第一回公判後ほどなく行なわれた第一回検証の際、具体的な被告人の氏名を特定してはいないけれども、本件当時、被告人らのうち一名は、事務室に向つて右側付近の構内においてあつた自動車の傍らにいて、事務室内には居合せなかつたという形で、すでに、弁護人側から明確に指摘されていたものであることを念のため明らかにしておく。
四、もち論、当裁判所は、先に掲げた検察側証人星野、同小菅、同柴田の三名がいずれも、カウンターの外側でカメラを手にしている清水の身辺に被告人滝沢の姿を目撃した旨供述しており、とくに、小菅証人は、「清水のまわりには、西宮、田丸、滝沢を含めて一四、五名おり、まわりにいた人達は個々に名前はいえないが、ずつと自分の身体で清水の身体を押していたようだつた」とか、「鈴木が金庫の方へ行つたとき、滝沢もそのそばにいた」と述べている事実をいたずらに軽視しようとするものではないが、一方においては、鈴木、鵜養の両証人はもち論(もつともこの両名は、被告人ら全員の姿を確認していないことは前にも述べたとおりである。)、先にも述べたように比較的信ぴよう力の高いと思われる、堀田証人の証言中にも、被告人滝沢の姿を目撃した旨の供述を見出し得ない点にかんがみ、かたがた、本件の如く、比較的短時間内の突発的に興奮した多数人の動きの多い場面の中で、万一の見誤り又は思い違いの生ずることなきを保し難いことを考慮し、相当の慎重を期するとともに、他方においては、上来詳述してきた関係証拠の分析検討の結果を参酌すると、少くとも被告人滝沢については、前記三証人の証言(そのうち、星野、柴田両名の証言中には、被告人滝沢の具体的な行動について、なんらの叙述もない。)があるからといつて、たやすく、これを採用することはいささか早計のそしりを免れないものと考える(ちなみに、堀田証人が、被告人滝沢のみならず、被告人西宮の姿も目撃しておらず、また、小菅証人が、被告人鹿野の姿を現認していないことは、同証人らの供述により明らかであるけれども、被告人西宮、同鹿野の両名については、叙上のように、いずれも、他の補強証拠をも考慮に入れたうえで、判示犯行への共謀加担の事実を認めることができるわけであるから、被告人滝沢についての右説示とは、なんら矛盾するものではない。)。
以上の諸点を総合して考察すると本件犯行の際、被告人滝沢は、右犯行の現場に居合せなかつたのではないかという合理的な疑を差しはさむ余地がないとはいえないことになる。よつて、同被告人については、結局、犯罪の証明がないことに帰着するので、刑事訴訟法第三三六条に従い主文のとおり判決する。
(弁護人の主張に対する判断)
第一、弁護人の主張
弁護人は、被告人らの本件行為は、
一、当日会社側が行つた門柵設置による営業所の閉鎖という一方的な措置およびこれによる組合員らの就労阻止についての団体交渉の際になされたものであり、本件行為自体も、会社側の組合弾圧策の一環である清水進の写真撮影という、団結権、団体交渉権に向けられた違法な行為に対し、必要最少限度で行つた行為であつて、労働組合法第一条第二項但書にいわゆる「暴力の行使」に至らない正当な行為であるから、同項本文により、違法性が阻却される。
二、かりに労働組合法第一条第二項により免責されないとしても、右は、清水の違法な写真撮影行為に対して、未だその権利侵害状態が継続する中で、労働者としての権利を防衛するため、やむを得ずになした行為であるから、正当防衛行為として、違法性が阻却される。
三、かりに、正当防衛が成立しないとしても、その目的において団結権、団体行動権の擁護にあり、その手段においても、社会通念上相当な範囲内にあり、本件行為によつて、喪失された法益は、せいぜいフイルム一本の効用価値で、また、フイルムは直ちに別のものが返還されているのであるから、法益権衡の立場から、本件は実質的違法性を欠き、犯罪を成立させない。
旨主張しているので、以下、これらの点について、順次検討することとする。
第二、当裁判所の判断
一、労働組合法第一条第二項による免責の主張について。
右法条によると、労働組合の団体交渉その他の行為であつて、労働者の経済的地位の向上、あるいは、団結権、団体交渉権を擁護する目的でなされた正当な行為は、暴力の行使に至らない限度において、刑法第三五条の適用を受け、原則的に違法性が阻却されることが明らかである。
ところで、右規定の趣旨が、憲法第二八条の保障する労働者の労働基本権を、刑罰法規の面で、より実質的に擁護することにより、労使対等の原則を貫徹しようとする点にあることは疑いないところであるが、右法条にいわゆる「労働組合の団体交渉その他の行為」とは、必ずしも、団体交渉やその他の争議行為自体に限定する趣旨ではないにしても、労働組合の行為のすべてを包含する趣旨でもなく、少くとも、団体交渉やその他の争議行為に際し、これに当然に付随し、その目的達成のために行なわれるものに限られるといわなければならない。けだし、右規定の趣旨は、団体交渉やその他の争議行為が、労働者が団結して使用者に圧力を加えることを本質とすることから、そのような場において、その目的達成のためになされた労働組合の行為については、通常ならば何らかの犯罪構成要件に該当する場合でも、一定の限度で、とくに社会的相当行為として違法性の阻却を認めることにあるのであつて、かかる争議行為の場と何らの関連なく、あるいは、そのような場においてなされても右の目的達成と何らの関連なく、行われた行為についてまで、右免責の規定の及ぶいわれはないからである。
そこで、被告人ら(被告人滝沢を除く。以下同じ。)の行為について考えると、判示認定の経緯からも明らかなとおり、本件が、組合側代表と会社側土田専務とが、応接室において、営業所の閉門によつて生じた就労阻止による補償の問題等について、団体交渉を行なつている間に、その隣室の事務室内において、発生したものであることは疑いないけれども、本件行為そのものは、何ら右交渉とは直接の関連なく、むしろ、組合員らの会社門柵乗りこえの状況をカメラにおさめたうえ、なおもそのカメラを携えて、カウンター前廊下を徘徊していた清水の姿に刺激された一部組合員らが、同人に写真撮影の理由等を詰問しはじめたことに端を発して、カメラの取合いとなり、カメラを渡すまいとする会社側職制と、これを奪い取りあげようとする組合員らとの間で、たまたま発生した偶発的な事犯であつて、それ自体、右団体交渉の目的達成のためになされた労働組合の行為であるとは、認め難いから、結局、前記労働組合法上の免責規定を適用すべき、前提の条件を欠くことになる。(なお、最判、昭三一、一〇、二四、集一〇、一〇、一五〇〇参照)、(もつとも、被告人片は、自己が清水に対して詰問したうえ、さらに、土田専務に写真撮影の件を頼まれた旨紙片に書くよう要請したのは、応接室の交渉にこれを持ち出したかつたからだと弁解し、一見、右団体交渉の目的達成のために行動したかのような供述をしているが、清水が、いつたんは、土田に頼まれた旨同被告人に告白したにも拘らず、その後、右交渉に、この一件を持ち出し情勢を有利に展開しようとした者が一人もいないことから考えると、同被告人をも含めて、本件犯行に加担した組合員らが、同被告人の供述するような意図の下に行動していたのでないことは、明らかであるといわなければならない。現に、被告人鹿野においては、単に「フイルムが会社の手に残つていると、将来、身分上悪用され、不利な扱いを受けるおそれがあつた」ので、フイルムを抜き取つた旨を述べている(速記録五六、七丁)ことからも、その間の消息を推知することができる)。よつて、弁護人の右主張は、結局当を得ないことになるので、これを採用することができない。
二、正当防衛の主張について。
被告人らの本件行為につき、正当防衛が成立するためには、まず、それが、「急迫不正の侵害行為」に対してなされたものでなければならないことはいうまでもない。そこで、清水の本件写真撮影行為が「不正」の、すなわち違法な行為であるかどうかが、まず検討されなければならない。
およそ、人がみだりにその承諾なく、自己の写真を撮影されたり、それを世間に公表されたりしない権利(いわゆる肖像権)を有することは、近時の通説である。そして、この肖像権の保護さるべきことは、単に国家に対する関係においてのみならず、一般私人相互間の関係においても、全く同様である。とくに、本件のように、撮影者が会社側で、被撮影者が組合員である場合には、みだりにこれを許すと、組合員の肖像権のみならず、将来その労働基本権をも侵害するおそれがないとはいえないから、かかる写真を撮影するには、それ相当の理由を必要とし、いやしくも、組合員の肖像権や労働基本権を、不当に侵害するようなことのないように、慎重な配慮を払わなければならない。もちろん、会社側の職員による組合員の写真撮影のすべてが、その事情の如何にかかわらず違法であるとすることはできない。たとえば、白昼会社構内で公然と行われている重大な違法行為を、たまたま目撃した会社の職員が、もつぱら右犯罪の証拠保全の目的で(すなわち、証拠として後日その写真を警察に提出する目的で)、写真を撮影することは、たとえ、それが組合員による犯罪であつても、許されるであろうことは、何人にも異論のないところと思われる。また、刑事事犯として告発するまでの意思はなくても、その違法行為の故に、会社内の秩序を乱したとして、後にこれを処分する場合の参考として、会社がこれを写真に撮影することも、一概に違法であるとはいえないであろう。結局その写真撮影行為が、組合員の肖像権や労働基本権を侵害して違法となるか否かは、右写真撮影の目的、方法およびその必要性ならびに撮影される時点における被撮影者の行為の違法性の程度など、右写真撮影をめぐる諸般の事情を総合勘案し、具体的事情に即して個別的に決しなければならない。
そこで、本件事案に即し、右具体的事情を以下順次検討していくこととする。
まず、本件においては、本件写真撮影の目的について、右撮影を命じた会社側の最高責任者である当の土田証人は、「門柵を乗りこえたり、違法行為をやる者があれば、のちのちの問題になつた時の参考にするためいろいろな関係があるので、あまり刺激しない方法で写真をとることにきめた」と説明し(速記録一五丁裏)、さらに、「その問題になつた時に参考にする」という意味を問われると、「それは、想像しておりませんでした。どういう問題になるかということは、その時は考えておりませんでした。」と述べるだけで(同七〇丁)、それ以上の説明を与えていないのである。しかし、当日、三恵の営業所の前を、デモ行進が通過するというので、あらかじめ、三社の営業所長をはじめその他の職制を呼び集めて協議の結果、部外者らの構内立ち入りを阻止するため、営業所の門に判示のような門柵を張り、なお、これに乗りこえてくる者を写真に撮影するよう判示清水進にその手筈を指示しておいたという会社側の最高責任者のこの供述だけでは、右写真撮影の目的を必ずしも明確に補促し難いばかりでなく、かえつて、検察側証人堀田の証言からもうかがわれるように、清水が当日、組合員らの門柵乗りこえの状況のみならず、デモの通過中に、事務所道路側の非常階段の中段から、右デモ行進の状況をも撮影した疑いがないともいえないこと、および、当日のデモ参加者中には、被告人片をはじめとするいわゆる東自交の秘密組合員らが相当数含まれていたことが推察されることなどの事情とあいまつて、会社側の写真撮影の目的の中には、何か、公表をはばかるような不穏当なものがあつたのではないかとの疑惑をさえ生みかねないことになろう。要するに土田証人の証言によつては、会社側の写真撮影の真の意図が奈辺にあつたのか、必ずしも明確に判定し難いことを、一応、念頭においておかなければならない。
つぎに、清水が撮影した、当時の組合員らの行動について考えてみる。まず、会社側が、当日真新しい門柵で営業所の門を一時閉鎖したこと自体をただちに違法視することは、できないであろう。けだし、会社側が、デモ終了後、またはその中途から、多数の部外者をもまじえたデモ隊員が、営業所の構内に入ることをおそれて、一時、その門を閉ざしたことは、証拠上疑いのないところであつて、公安委員会の許可を得て適法に行われるデモ行進に対してこのような措置をとることは、かえつて無用にデモ隊員を刺激するおそれが多く当を得たものでないとの批判はありうるにしても、会社側に、部外者の構内立ち入りを受忍すべき法的義務が認められず、しかも、それがあくまで一時的な閉門にとどまる以上、それ自体を把えて、会社側を責めることは、できないからである。しかし、本件のように、営業車が、運転者の食事や車輛の修理などのため、自由に出入りする必要のあるタクシー会社の営業所の門を閉鎖するにあたつては、労働者の労働条件に不当の影響を及ぼさないよう、それ相当の配慮を必要とすべきところ、本件会社側の閉門措置については、未だ、十分に右配慮を尽していなかつたふしが認められる。すなわち、当日デモ行進が会社前を通過することが、当日夕方になつて、はじめて会社側にわかつたというような切迫した事情でもないのに、会社側では、あらかじめ組合側と打ち合わせて閉門についての了解を得ておくとか、あるいは当日出番の運転者らに対し、その旨事前に通告、周知させて、無用の混乱を避けるなどの措置を講じておらず、わずか閉門一〇分前に至つて、突如として、構内残留中の運転者らに対し、放送により出構を呼びかけたため、未だ食事中の運転者弦巻およびその後に帰構した被告人西宮らを、結局、右閉門後、構内に残留させる結果になつたのみならず、その後、右両名が、谷川所長に、開門して出構させるよう要請したにも拘らず、同所長が、開門を拒んで同人らを出構させず、さらに、その間、修理のため帰構した車輛すら入構させずに、付近の有料駐車場で待機させる措置をとつていることなどが認められるが、とくに被告人西宮らが谷川所長に開門して出構させることを要請したのは、未だデモ隊が、右営業所の近辺に接近している何らの徴候も認められない時点のことであるし、その際一時開門して出構の便宜を計る程度のことは、当時人手もあつた会社側にとつて、さして骨の折れる作業であつたとは考えられないのに、その措置をとらず、その結果、組合員の労働条件を不当に変更し、紛争の因子を譲成するに至つたことは、労務管理上はなはだ適切を欠くものといわれてもやむを得ない。
そこで、組合側が、会社側のこのような不手ぎわな措置に対し、抗議を申し入れるとともに、長時間構内に残留することをやむなくされた組合員らのために、相当の補償を要求すること自体は、非難さるべきことではない。ただ、それだからといつて、本件の如く、現に構内に残つていた被告人西宮らがデモ隊の通過後直ちに事務室に赴き、土田専務ら会社側幹部に対し、速かに門柵を撤去して開門するよう改めて申入れを行う余地があつたにも拘らずそのような措置をもとらず、同じ構内に営業所をもつ三恵、インター以外のいわゆる部外者をも含めて、十数名のものが、夜間一挙に門柵を乗りこえ、会社構内に立ち入ることは、前記のような会社側の手落ちを考慮にいれても、なお、行きすぎた行為であり、これをもつて法律上当然に許されたものと解することはできないが、他方、右門柵乗りこえの行為は、ことここに至るまでの経緯とくに閉門の措置をとるについての会社側における前記のような手落ちの点などを考慮すると、それほど高度な違法性があるものとは考えられず、これに対して会社側の職制が、門柵を乗りこえてくる者の顔を判別できると思われるその前方地点から、公然閃光電球を用いて撮影しており、しかも、その撮影の目的が、前記のように必ずしも明確なものではないことなどからすると、写真に撮影された組合員らが、右門柵の乗りこえによつて、営業所内の秩序を乱したということよりも、むしろ、将来もつぱら組合活動に熱心であるとの理由で目星をつけられ、人事上不利益な扱いを受ける虞れがないともいえないから、このような状況の下において、会社側が、前記のような意図および方法をもつて写真を撮影することは、微妙な労使関係に顧慮を払わない甚しく妥当を欠いた行為であり、ひいては、必要以上に当該組合員の肖像権を侵害し、かつ、将来組合員の労働基本権をも侵害する恐れがあるという意味において、違法の疑いを差しはさむ余地がないともいえないようである。
しかしながら、他方、本件の如く営業所構内において、夜間違法と目される行為が公然と行われた場合に、後日事態の推移に応じ、これに対処する措置を考究するための資料として、一応、その状況を写真に撮影しておく必要が会社側になかつたとはいえないし、それにまた、右門柵を乗りこえてきた組合員ら本人としては、前記目的以外に別段の他意はなかつたとしても、これを目撃した会社側の職制清水としては、必ずしも、これら立入者の真意を把握することができず、ただ、会社側があらかじめ開門を予定していたにも拘らず、夜間十数名もの者がいきなり門柵を乗りこえてくるのを見て甚だ隠かならぬ行動であると受けとることは、無理からぬことである。このような事情をも合わせて考えると、右撮影にかかる写真の使途が、当時未だ、事態推移の状況の予測がつきかねていた関係上、具体的には特定されておらず、また、撮影者たる清水が門柵を乗りこえてくる組合員らの顔の判別ができる程度の地点から閃光電球を使つて撮影したからといつて、ただちに右写真撮影行為そのものが、違法であるとまで断定することはできないものと思われる(清水が、デモ行進の状況を撮影したということについては、一応の疑いもあるが、これを確認するだけの証拠がないから、ここでは、その点に論及しないことにする。)。それのみならず、かりに清水の右写真撮影行為を違法とする立場をとるとしても清水が、構内事務所前において、組合員の門柵乗りこえの状況を、撮影した行為自体は、本件カメラの紛争当時、すでに終了していた過去の侵害行為であるから、急迫の侵害といえないことは明らかである。(ちなみに、この理は、清水が、かりに非常階段の中段から、デモ行進を撮影したことがあるとしても、全く同様であると解される。)。もつとも、肖像権には、みだりに写真に撮影されないということのほかに、撮影された写真をみだりに公表されない権利も含まれることは、すでに述べたとおりであるから、かかる意味における肖像権が、右フイルムを会社側の手に保有させることによつて、将来侵害される危険は依然残るし、また、これにより、将来組合員の労働基本権が、危たいに瀕するおそれもないとはいえない。しかしながら、これらの危険が、本件紛争当時、すでに目前に差し迫つていたと考えることはできない。
結局、以上いずれの点からしても、本件は、正当防衛成立のための基本的要件を欠くことになるから、この点に関する弁護人の主張もこれを採用することができない。
三、超法規的違法阻却事由の存在の主張について。
行為の違法性は、これを実質的に理解し、ある行為が、形式的に一定の構成要件に該当する場合に、それがかりに、刑法上明文で認められた正当防衛、緊急避難あるいは学説上ほとんど異論を見ない自救行為などの要件を満たさない場合であつても、それが、社会共同生活と社会正義の理念に照らし、全体としての法律秩序の精神に違反しない場合には、なお、超法規的に、行為の形式的違法の推定を打破し、犯罪の成立を阻却する場合のあり得ることは、近時の通説、判例の認めるところであつて、当裁判所も、理論としてこれに別段の異論はない。しかしながら、具体的にいかなる場合に、右違法性阻却が認められるかという点(すなわち、超法規的違法性阻却事由存在のための要件)については、見解の分かれるところであり、従来の裁判所の取扱いにおいても、弁護人の主張するように、動機・目的が健全な社会通念に照らして客観的に正当であること、そのための手段・方法が社会通念上相当の範囲内にとどまること、さらにその行為によつて保全される法益が、行為の結果侵害されるべき法益に比し、優越していることという点のみをもつて、足りると解した例がないではないが、当裁判所としては、その場合、手段・方法が相当であるといい得るためには、単に、ある手段が、抽象的に社会通念上相当であるというにとどまらず、さらに、当該の具体的情況に照らし、かかる行為に出ることが、緊急やむを得ないものであつて、他に、これに代るべき手段方法を見出すことが不可能もしくは著しく困難であることをも、必要とするものと解するのが相当であると考える。なぜなら、急迫不正な侵害または生命、身体、自由などに対する現在の危難の存する場合においてさえ、これに対する防衛または避難行為が、真にやむを得ない例外的な場合にのみ許されている現行刑法の精神からして、このような急迫の侵害または現在の危難という緊急性の要件を厳密に満たしていない場合に、これに対してなした防衛的または避難的行為について、その違法性が阻却され得る場合は、よりいつそう特殊例外的場合に限られるべきであるからである。(なお、東高判昭和三一年う第一八〇三号、同三五年一二月二七日言渡下刑集二巻一二号一三七五頁参照)
そこで、以下、右の理論的前提に立つて、本件被告人らの行為が、右のいわゆる超法規的に違法性を阻却すべき場合に該当するか否かについて、順次、具体的な検討を加えていくこととする。
まず、目的の正当性について考えると、清水の判示写真撮影行為が違法とまではいえないとしても、右フイルムを会社側の手に保有させた場合、将来、組合員らが不当な不利益をこうむる恐れがないとはいえないことは、すでに検討したとおりであるから、被告人らが、かかる事態を未然に防止するため、会社側に右フイルムの保持を抛棄させようとしたその終局の動機・目的においては、健全な社会通念に照らし、本件具体的事情の下において、格別、強く非難さるべきものではない。
つぎに、手段・方法の相当性について考える。被告人片が、右のような目的の下に、清水に対し詰問し、さらに、同人に対して、紙片に土田に頼まれた旨記載するよう要求した限度では、それが、はなはだしく不穏当な言辞をろうしたり、いちじるしく同人の身体の自由を拘束したりしていない以上、ただちに手段としての相当性の限界を逸脱しているとはいえないであろう。しかし、被告人らがさらに進んで、右記載を拒否した同人から、判示のような実力を用いて、カメラを取り上げようとし、さらには、その後、判示のような経緯をたどつて、カメラが鵜養の手にわたるや、これを奪い取つて、内部のフイルムを、会社側に無断で感光させてしまう行為まで、ただちに相当とされるいわれはない。思うに、当夜、会社側の最高責任者である土田専務は、組合側の代表から、当日の営業所の門の閉鎖に対する抗議およびこれによる稼動不能になつた組合員の水揚額の補償についての団体交渉の申出を受けるや、不本意ながらもこれに応じており、現に、右カメラの紛争の発生するしばらく前からは、右事務室に隣接する応接室において、土田と組合側代表との間のいわゆる団交が、ようやく軌道に乗りかかつていたことは、その場に居合わせた組合員の間に周知の事実であつたと思われる。そうとすれば、いつたんは、清水から土田に頼まれて撮影した旨聞き出した被告人らとしては、たとえ、同人がその後、前言をひるがえして、紙片への記載を拒否するに至つたとしても、ただちに、同人から、右カメラを取り上げてしまうことなく、ともかくも、前記団交に、右カメラの一件を持ち出して、土田の善処を求めるなどの措置に出るべきではなかつたか。あるいは、かかる措置に出るいとまもなく、清水が鈴木に、右カメラを渡してしまつたというかもしれない。しかし、かりにそうだとしても、鈴木は、カメラを、ほかならぬ事務室内の金庫へ格納しようとしたというのであるから、右格納によつて、カメラの所在が不明確になるおそれは毛頭なく、したがつて、これによつて、土田との交渉が、将来著しく不利益になるとも考えられないから、右カメラを奪い取つてしまうまでの状況上の必要性は、とうていこれを認め難い。したがつて、右は、全体として、手段・方法の相当性の限界を逸脱したものと認めざるを得ないわけである。
よつて、本件については、この点において、いわゆる自救行為をも含む超法規的違法性阻却事由の要件の一つを欠くことになり、したがつて、さらに他の要件の存否について判断するまでもなく、弁護人の右主張もまた、これを採用することができない。
(法律の適用)
被告人西宮、同田丸、同鹿野および同片の判示各所為は、いずれも、包括して、刑法第六〇条、暴力行為等処罰に関する法律第一条第一項(刑法第二〇八条、第二六一条)、罰金等臨時措置法第三条第一項第二号に該当するので、いずれも所定刑中罰金刑を選択し、所定罰金額の範囲内で、被告人西宮を罰金四、〇〇〇円に、被告人鹿野および同片を各罰金三、〇〇〇円に、被告人田丸を罰金二、〇〇〇円にそれぞれ処し、被告人らにおいて、右罰金を完納することができないときは、刑法第一八条第一項・第四項を適用して、いずれも金五〇〇円を一日に換算した期間、当該被告人を労役場に留置し、訴訟費用については、刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条により、証人細井一孝(第一回)に対して支給した分を除くほか、全部被告人四名に、連帯して負担させることとする。
(量刑の事情)
本件は、その表面に現われた現象形態として把えると、多衆の威力を示して、公然と法を無視してなされた集団的暴力事犯として、犯情必ずしも軽くはないとも考えられるが、被告人らの刑責を定めるにあたつては、その現象面にのみ把われることなく、本件のよつて来たる遠因、近因および犯行において果たした各被告人の役割など、本件犯行をめぐる一切の事情を総合勘案してこれを決しなければならないところ、本件においては、とくにつぎの諸点が、注目されなければならない。すなわち、
一、すでに、(本件犯行に至る経緯)の項において、詳細に判示したところからも明らかなとおり、右犯行の背後には、従来の会社側と組合側との根強い対立感情ないしは相互の不信感が存在し、これがひいては、本件犯行の遠因になつたとも解されるところ、かかる相互の不信感が譲成されるに至つた経緯には、あながち組合側の一方的な行きすぎのみを責めるのは過当のそしりを免れず、その間、会社側にも、いくつかの労務政策上の不手ぎわがあつたと考えざるを得ないこと。
二、本件紛争のそもそもの出発点となつた会社側による営業所の門の閉鎖および本件犯行の直接の誘因となつた清水の写真撮影行為は、いずれも、端的に違法とまでは断じ得ないとしても、少くとも、組合員の心を無用に刺激し、あるいは、これに強い不安感を与えるはなはだ当を得ない措置であつたと考えられ、従来から会社側に対し根強い不信感を抱いていた組合員らが、判示所為に出るに至つた経緯には、行為そのものの構成要件的評価は別として、犯情としてある程度斟酌すべき点が見出されること。また、その半面として、本件は、会社側の右一連の措置、とくに、清水の行動に強く刺激された一部組合員が、いわばこれに誘発された形で判示所為に及んだ全く偶発的な犯行であつて、計画的な犯罪とは考えられないこと。
三、本件においては、清水の腿および脛の部分を足蹴りにしたという氏名不詳の組合員をはじめとして、同人の身辺に、被告人らと同様に参集した被告人ら以外の多数の組合員ら(しかも、そのうちの何人かについては、証拠上も氏名を特定することができる)が、何ら訴追の対象とならずに不問に付せられているのであるが、一方、被告人西宮を除いた他の被告人ら三名については、いずれも、清水の身体に直接不法の有形力を行使したと認めるべき証拠がないのであるから(なお、証拠によつて認められる被告人西宮の行為も、いわゆる暴行罪の態様としては、比較的軽微なものと考えられる)、被告人らに対する量刑を勘案するについては、他の共犯者らとの関係において、著しく不公平な結果を招来することがないよう深甚な考慮を払う必要があること。
四、感光された本件フイルムの中には、会社側の撮影したいわゆる事故写真多数が入つていたというのであるから、本件毀滅行為による損害は、会社側にとつて、必ずしも軽視できないと思われるが、他方、被告人らにおいて、右事実を知りながら、あえてこれを毀棄したと解すべき証拠もないから(この点に関する小菅証言は、清水証言に対比して、たやすく採用することができない)、この点を把えて、被告人らを強く非難するのは、刑政上妥当とは思われないこと。
五、被告人らのうちでは、被告人西宮が、本件犯行全体を通じ、もつとも積極的に行動し、少くとも、清水の身辺に来合わせて以後の段階においては、もつとも主導的な役割を果たしたと考えられること、他の三名は、清水に対して、何ら直接手を下した形跡がない点で共通であるが、被告人鹿野および同片の両名は、被告人鹿野が、フイルムの効用毀滅について、決定的な役割を演じた点、また、被告人片が、写真撮影の件について、清水に問いただすこと自体の可否は別としても、とにかく、多数組合員のいる場所で、かかる刺激的な行動に出るときは、事情の推移いかんによつて、不穏な成り行きに発展するおそれのあることが、当然に予期できたはずであるにも拘らず、たやすく判示のような言動に出たうえ、執ように同人と押問答をくり返すに至つたため、結果として、本件犯行の端緒を作出してしまつた点において、右犯行全体を通じ、とくに積極的な役割を演じたと認め難い被告人田丸に比し、その刑責において若干の差異があると認めざるを得ないこと。
以上の諸点ならびに当公判廷において取り調べたすべての証拠によつて認め得る本件犯行をめぐる一切の事情を総合勘案した結果、当裁判所は、被告人ら四名につき、いずれも所定刑中罰金刑を選択したうえ、前記各罰金額をもつて処断するのを相当と認めて、主文の刑を量定した。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 樋口勝 向井哲次郎 木谷明)